仮面ライダードライブ 総括

 リアルタイム以降二周目をした『仮面ライダードライブ』完走しました。

 『W』以来の三条陸脚本の謎解きものライダー第二弾。

 リアタイでは半分卒業状態だったライダーに対して夏の劇場版を再び劇場で観るなどライダー熱のギアがかかりだして、Twitterで感想を投稿するようになったのもこの時期なので思い入れは少なくない。

 『ドライブ』、一言で表すなら大森Pの色が出始めた作品だったなと思う。

 仁良や蛮野といった悪役が好き勝手暴れて、最後に倒されることで得られるカタルシスも満足にあるとは言えないオチ。

 前者は余計な捨て台詞のせいで無駄に後味悪いし、後者は複数のメインキャラの直接の死因になってるので倒されたところでスカッとはしないからだ。(チェイサーマッハ登場や「イッテイーヨ」の展開はよかったけどね。)

 散々悪事を働いてきたロイミュードがいつの間にか被害者みたいになっている意見は、ライダーと共闘するのは最後の最後だけだったし108体全員撲滅という罰は受けていたのでそこまで気にならなかったかな。

 三条陸脚本は後々の作品と比べると比較的見やすい脚本だし松岡充の爽やかなOP主題歌がいい清涼剤になってくれるのでまだ見れた。

 竹内涼真の成長具合を見れるのもいい点だった。感情を露わにする演技も多いのでその辺鍛えられたんだろうな。俳優としての竹内涼真を育てたのは『ドライブ』といっても過言ではないだろう。

 ここから大森Pの作品群でビルドやゼロワン、キングオージャーは良くも悪くも大森Pの癖が全開になっていく作品なので、ドライブを二周して『ドライブ』はこれでもまだ抑えられてる方だったと分かるのは完走できて分かったところだ。

 

 販促面ではタイヤコウカンは後半死に設定と化してたのが勿体無いところだった。

 序盤に出した設定が後半ほとんど出なくなるのは近年のライダーの悪い癖だがドライブの頃からあったのを再確認できた。

 仮面ライダー純、あれは完全に片岡鶴太郎への接待だよね?あの予算で他に使えるところいくらでもあったと思うんだけどなあ...。

 

 

MOVIE大戦ジェネシス

 一応ドライブ最後のメインとなる冬映画。...になるのだがそれにしては繋がらない点が多い。

 進ノ介は最終回でゴーストと一度会っているし、タケルもまた然りのはず。なのに今作で会った時に互いに初対面になっていたのはおかしい。

 ゴースト側も正史扱いのはずだが、タケルが入手しているアイコンの数からも8話と9話の後だと分かるのだが、この頃のマコト兄ちゃんはタケル憎しで動いており、タケルが過去から戻ってきたところで「ダブルヒーローのご帰還だ!」と歓迎出来るような状況ではない。

 不知火やクモランタンもなくゴーストが実体化してるなど設定面の粗も多い。

 『ジェネシス』製作時期にまだドライブ終盤とゴースト序盤の脚本が決まってなかったという話もあるくらいだし、ちゃんと後日談をこれまでやっていたライダー冬映画にしてはお粗末で残念な出来栄えだった。

 大筋の話の展開である「過去に飛んで父親と生前の姿を見るタケル」や「進ノ介が霧子にプロポーズしてからの結婚」など要素として良かった点もあるだけに残念ではある。

せめて三条陸長谷川圭一、毛利亘宏、福田卓郎に脚本書いてもらうか監修してもらうかすれば本作の評価も変わったものになっただろう。

 

 

 

ドライブサーガ 仮面ライダーチェイサー

 鎧武以降恒例となったVシネマ

 チェイスが既に故人なのでテレビ本編中の話をしており、ロイミュード組がまだ生きているのは感慨深いものがある。

 人間の感情が無い故に苦悩するチェイスに、人間の感情を与えるエンジェルロイミュードの誘惑が迫るという話。

 感情を手に入れたチェイスは、チェイスというより上遠野太洸そのままじゃね?っていうキャラ付なのは『Vシネ バロン』のシャプールを思い出す造詣だ。

 Vシネらしく谷間や半裸をチラつかせる微エロや、血糊をふんだんに使ったグロなど今のニチアサでは難しい展開をやってくれたのはいいと思う。スタッフも撮れないものへの鬱憤が溜まっていたのだろう。

 クライマックスで人間であることを捨ててまで仮面ライダーとしてエンジェルを倒すチェイスは孤高ながら仮面ライダーそのものであった。

 ゲストキャラとの少年の約束を守れなかったのがビターエンドを醸し出している。

 ラストの砂浜でライドチェイサーを駆るチェイスのシーンは松岡充の新曲も相まって葬式のような雰囲気が出ており思わずウルっと来てしまった。

 映像で動く仮面ライダーチェイサーはこれで見納めだと思うと寂しくもある。

 

 

小説 マッハサーガ

 平成ライダー恒例の講談社キャラクター文庫出版の小説。

 今作は詩島剛が主人公となる。

 進ノ介と霧子が結婚してから2年後の2017年12月が舞台だ。

 再び現れた「西堀光也」が仕掛ける犯罪ゲームを相手に剛たちが食い止めようと奔走する物語だ。

 ライダーの小説では珍しく回想とクライマックスにマッハとロイミュードが出るくらいで9割ミステリー小説と言える内容だ。

 表紙に写ってるドライブが一切出てこないの大森Pならやりそうなことだと思った。

 大森P、「実はあのおめでたいエンディングの後にこんなことがありました〜w」って感じの悪い展開するの好きだよね。

 進ノ介達の結婚式もあの後ガセネタのせいで参加者の警官出動の騒ぎになって中止させられてるのそこまでしなくていいだろと思ってしまう。

 小説の内容自体は真犯人の考察も含めて結構楽しめた。「アイツが犯人...?でもアイツは...」という予想はできても確信を持たせないまま「あ〜そういうのアリか〜!」と思わされてしまったので俺の負けだ。

 テレビ本編で出てきたロイミュード犯罪の犯人達が一堂に会しておりテレビ本編の続きものという意味ではライダー小説の中でも上位に入るだろう。

 超デッドヒートマッハとリベンジャーロイミュードも設定の再利用に唸らされてしまった。

 ドライブファンなら一読する価値はあったと思う。

 

 

マッハ夢想伝

 『仮面ライダー剣』以来のドラマCD。

 チェイスを蘇らせる決意をした剛をメインに、協力するりんなと人口知能ヒュプノス、そして何故か復活したゴルドドライブというメンツだ。

 タイトルの通り夢の中の話なのでなんでもあり。メイド喫茶でガーリーなパフェ食う剛とかなんかキャラの違うチェイスとかいきなり変身できるとか。

 テレビ本編の追憶する展開も多く、剛を庇うチェイスを逆に庇って助ける剛とかゴルドドライブの言いがかりに毅然とした態度で言い返す剛とかとにかく剛の成長が見れるドラマCDだった。

 1時間ほどの尺なので是非一度聴いてみてほしい。

 

 

ドライブサーガ 仮面ライダーハート/マッハ

 ドライブのVシネマ第二弾。

 チェイスを復活させるつもりが何故か代わりに蘇ったハート(とコアのみの復活のブレン、メディック)がロイミュードの「バグ」にケリをつける話と、小説・ドラマCDの後日談となる剛の話の二本立て。

 『ハート』は即席でバディを組むことになった現さんとの交流がよかった。

 一見ダメな人間に見えても心のデカ魂だけは誰にも負けない現さん。その熱意がハートにも伝わり、ハートが認める人間に進ノ介以外が増えるという構図がアフターストーリーらしい構成だったなと。

 仮面ライダーハート タイプミラクルはもう少しタイプトライドロン感を消せなかったかは気になるところ。

 この時はまさか「次は仮面ライダーブレンで会いましょう〜」というブレンの戯言が本当に実現するとは思ってなかった。

 

 『マッハ』は小説の直後のお話になっておりテレビ本編のゲストキャラでしかなかった西堀令子が正ヒロインに格上げになるとは思ってなかった。

 これもある種の「ライブ感」だろうか。

 容疑者の女と一緒に逃走する2号ライダーという展開はVシネ『アクセル』も書いた長谷川圭一の手癖だろうか。

 ボスキャラも小説で登場する真犯人そのものでありそれを再び撲滅することで西堀令子を運命から解き放つ剛という展開がよかった。

 マッハチェイサーはチェイサーマッハの正規版って感じのデザインでこれはこれでありかも。

 ライダーVシネ恒例「無から生えてくる女」も今回はテレビ本編がらいるキャラなので脳がバグる。後日談作るのが上手いとしておこう。

 ちゃっかり剛と令子がデキてるのはライダーVシネらしいというべきか。化け物の子供同士惹かれ合うのはある意味当然なのかも。

 

 

 仮面ライダーブレン

 『マッハ/ハート』からリアルタイムで3年後、TTFCで解禁された令和初(?)の仮面ライダー

 戯言が本当になるとは思ってもみなかったが、仮面ライダーブレンのデザインとストーリーはTTFC産にしてはよかったと思う。

 プロトドライブの改造なのもあって仮面ライダーハートよりはカッコよくて見えるデザインだ。脳と毒のモチーフも中々決まってる。

 秘密組織「無」を相手に、怪人にも怪人なりの矜持がありそれを誇りに一生懸命戦ったと豪語するブレンはブレンのくせにカッコいいこと言うんだなと思った。

 初代仮面ライダー1話の展開をなぞりながらブレンなりの仮面ライダーを描いてるのでTTFCの割には面白かった。

 ラストの、共にデータ上で復活しているハートもメディック、それをチェックしてる剛のシーンは明らかに続編の布石と捉えているが今のところ続報はない。 

 

 『ドライブ』はここで一旦一区切り。

 10周年のVシネマ、やはり可能ならやってほしいものだ。

 チェイスの復活、待っているぞ。

ひろがるスカイプリキュア 総括

 先に言っておく。私はプリキュアが好きだ。

 作品は初代から現行まで全て見てきたし、リアルタイムで見ている作品では2周した作品も多い。

 感想ツイートを見てもらえれば分かるがプリキュアに関しては基本肯定的に褒めている。

 この20周年のために全作見返した。それくらい好きなのだ。

 

 それを踏まえた上で今回の記事を見てほしい。

 

 

 結論から言おう。ひろプリは駄作であるとしか言えない。正確には駄作と呼ばれる作品に該当する要素が多く存在するというべきだ。

 その要素は大きく分けて5つある。

①伏線のない唐突な展開の連続

②それまで積み重ねた尺の放棄

③積み重ねのないインスタントすぎる「エモいに似た何か」の連続

④キャラクターの掘り下げ不足

⑤男プリキュアがノイズである

 

 まず①から見ていこう。

伏線のない唐突な展開の連続

 鷲尾P、シリーズディレクターも務める小川監督、シリーズ構成の金月龍之介。誰の手癖か断定は難しいが設定の開示もされない唐突な展開が数多く見られた。

 カイゼリンがヒーローだからという理由で入れ物認定、変身しすぎて変身解除、スキアヘッドのいきなりのラスボス化、いきなり現れて説明のないダイジャーグ。終盤だけでこれだけある。

 新しい設定が加わるのは作品ではよくあること。しかしいきなり出すなら設定を説明するなり伏線なり布石なりを作る時間はいくらでもあったはずだ。

 なのにこの座組は一切しなかった。

 急に生やした設定で急に生やした設定を紡ぐ。まともに見ていれば理解不能の展開の連続。

 稚拙すぎだ。

 

それまで積み重ねた尺の放棄

    主にスキアヘッドに費やした尺のことだ。

 カイゼリンへの愛で戦っているとスカイに言っていたにも関わらず(身を挺して庇う、一度犬死にしてまで代わりに戦い続けた描写を入れて)それが全部嘘だったと。

 ここまで費やしてきた時間は何だったのか。

 愛のために生きていた(と思われた)スキアヘッドのキャラが全て否定され、スキアヘッドに残された設定は何も残っていなかった。

 正体であるダークヘッドも「アンダーグエナジーの化身、自身の入れ物を探している」しか設定がない。

 3クール目からは出てきていたので、ポッと出のラスボスでもないのに設定が何もないという虚無なキャラ。

 嘘で設定をひっくり返すならそれ相応のキャラと設定を用意しておけよと言いたくなる酷さだった。

 

 他にもある。

 それまで父親を討たれた憎しみでエルレイン憎し、スカイランド憎しで動いていたカイゼリンが父親の仇であるスキアヘッドに対して何の憎しみも抱いてないのは無理があるだろ。

 目の前に父親の仇がいるんだぞ。

 「可哀想な被害者」にさせたいがために、それまでの設定を忘れさせるのでカイゼリンに使った時間は一体何だったのか。

 

③積み重ねのないインスタントすぎる「エモいに似た何か」の連続

 主にカップリングとして(といってとほとんど虚無だが)ツバあげ、ツバエルが該当する。

 前者はメイン回が3話ほどしか描写がないにも関わらず、ほぼ言ってない「最強のコンビ」発言やカップリング扱い。

 そもそもカップリング扱いするほど絡みもない。

 一年通してコンビ組んで戦っていた訳でもない。

 カップリングっぽい雰囲気だけで一年やり通しただけである。

 一応2人の合体技である『プリキュアタイタニック・レインボー』もミックスパレットの箱絵と説明書を見てもらえれば分かるが、バタフライは描かれてもウイングは描いてない。

 玩具時点ではバタフライの単独技としか描かれてないのである。

 ウイングがいなくても成り立つという証明になるのではないか。

 ツバあげ言ってる人はどの辺がカップリングなのか教えてほしいものだ。

  

 後者はカップリング扱いするにはあまりにも設定に無理があるし、それを損なう劇中の失言も多い。

 そもそもエルちゃんはまだ赤ちゃんである。

 回想の描写から年齢にして一歳か二歳程度。1話ではほとんど喋れなかったくらいには幼い。

 ソラ達のことも友情、恋愛感情、家族愛の区別がついてないくらいには認識がハッキリしていない。

 マジェスティ覚醒後は身体は成長したが内面に関しては何の説明もない。劇中でもただ赤ちゃんの身体が大きくなったとしか扱われてない。

 カップリングっぽいことを喋らせるにも、特定の異性に対して恋愛感情を抱くには物事の区別が出来ない赤ちゃんという設定がノイズすぎるし、精神的に成長しているというには自分は赤ちゃんである自覚もあるのでそれも矛盾する。

 40話の結婚回もあげはがちゃんと結婚について教えなかったせいで複雑になっているが、結論としてエルちゃんの考えは友情と家族愛の混合に近い。

 結婚回で結婚したと思っていること自体認識を間違えている。

 

 もう一つはツバサの失言の数々。

 9話でエルちゃんのナイトと自称しているが自称しているだけである。

 13話で用事のあるソラとましろに代わってエルちゃんの育児をすることになった際に「なんでこんな貧乏くじを」と言っている。

 エルちゃんの育児をする気なんてツバサには最初から無いのだ。

 他にも33話でエルちゃんをプリキュアとして戦わせるかどうかという話をしている時にも戦闘中という事情抜きにしても「そんなこと言ってる場合ですか!」と切り捨てる有様。

 お前が1番それ言っちゃいけないだろと言いたくなる。

 仮にもナイトなら戦闘前に「プリンセスの分まで僕が戦います!」くらい言ったらどうだ。

 まだあるぞ。47話で成長したエルちゃんを見て「プリンセスはどこですか?」と慌てふためく始末。

 『映画プリキュア5』の夢原のぞみのように偽物のココを見破るくらいのことをしないのは、その程度の関係でしかなかったんだなとしか言えない。

 外見でしかエルちゃんのことを見てなかった証拠だ。

 ギャグシーンとして演出したかったのだろうが、終盤になって仮にもカップリング相手の内面も見れない奴としか見れない。

 夕凪ツバサがナイト言ってるのはあくまで自称に過ぎないのが分かる。

 所詮ツバエルなんていうのは自称ナイトと物事の分別が出来ない赤ちゃんという空虚なカップリングでしかない。

 視聴者の悪口を言うつもりはないがツバあげ、ツバエルで喜んでる人はあんまりひろプリ見てないんだろうなと言わざるを得ないカップリングの中身の酷さだった。

 

 

キャラクターの掘り下げ不足

 これはもうメインキャラはぼ全般に言えることだ。

 ソラはヒーローを志していると言いながらどんなヒーローになりたいのか、シャララ隊長から脱却してヒーローとは何なのか設定がなかったように思う。

 「ヒーローガール」という適当に作った設定に対して中身を最後まで考えてなかったとしか言えないだろう。

 事前に答えを用意してなかった制作陣の失敗としか言えない。

 

 ましろは比較的よかったと思う。

 尺も多めに取られていただけあって無難な着地だった。

 他が酷すぎるだけかもしれないが。

 

 あげはは「最強の保育士」を目指していると言いながらどうすれば最強の保育士になれるのかが欠如していた。

 それに最初から保育士の夢を叶えていたばかりにそれ以上深掘りするのが難しいキャラになっていた。

 今作の中では1番販促のために出したキャラという印象だった。

 夕凪ツバサとの「最強のコンビ」も記憶では劇中で最終回合わせても2回ほどしか言ってない。

 カップリング回(と言ってもそこまでカップリングしてないが)も3回しかなかったので掘り下げになるほどのこともしてない。

 

 エルちゃんは販促のために赤ちゃんでいなければならないのとストーリーのために成長しなければならないのがどっちつかずになっていた。

 プリキュアにするのが最初から決まっていたのなら中盤ではーちゃんよろしく成長させればよかっただけの話だ。

 赤ちゃん妖精枠とプリキュアを兼ねようとしたのがそもそも間違いだったのだ。 

 

 

⑤男プリキュアがノイズであること。

 今作最大の失敗点。

 プリキュアは男入れるだけでこんなに動きにくく、センシティブな要素だらけになるんだなと感じた。 

 一つ目は女性キャラと断りなく同居してる点。

 8話でましろが男がいるとは知らずに異性と同居していたことになる問題が生じる。

 ヨヨはそのことを一切ましろに知らせなかったという問題も込みである。

 そのことに関してその後フォローは一切なかった。

 ツバサが女だったら何の問題もなかった話だ。

 女児向けアニメとしてだけでなく東映アニメーションが教育番組としての側面も誇っているのにも関わらずだ。

 あまりに無頓着である。

 

 二つ目は出来ないことが増える点である。

 男キャラと女キャラが同衾するのはNGだからか、まほプリ以降恒例だったパジャマパーティー回をやらなかった。

 また男プリキュアに男だと強調する格好はNGだからか浴衣を着た夏祭り回や着物を着た正月回もやらなかった。 

 毎年恒例のプリキュアかるたはこれまで書き下ろしの着物を着たプリキュアたちがデザインされていたのにやはり男プリキュアに袴はNGだからか着物姿も廃止されて変身後の姿だけになっている。

 ラッシュガードは男女両用だからか海水浴は普通にあったので尚更そう感じる。

 出来ないことが増えるのに価値観アップデートではまるでギャグみたいだ。

 

 三つ目は夕凪ツバサとしてのキャラ付けの失敗。

 夕凪ツバサ、正直言って褒めるところが一つもない。

 キャラデザも、他のメインキャラが可愛い女の子だらけなのもあって、「女の子じゃない何か」になってしまっている(鳥だし)。普通にボーイッシュ女の子でよかったのではないか。

 声も特に叫ぶ時が猿みたいにキーキー聞こえる(村瀬歩の演技だって他にあっただろ)。

 他のキャラへの接し方もクソガキとしか言えない不快さ。エルちゃんの扱いも先述の通り。

 酷いものである。

 空を飛ぶのが夢だと語っておきながらプリキュアになった途端夢が叶ったと言い出す有様だ。

 そんなプリキュアは今まで一人としていなかった。

 というか夢についてはこの20年一貫したルールはなかったのか。

 例えば春野はるかは真のプリンセスに近づくためにノーブル学園在籍時からひたすら勉強に励んでいたしプリキュアになってもそれは続けていた。

 「自分で努力しないで夢が叶ったとは言わない」とも言っている。

 夕凪ツバサはプリキュアになって夢が叶ったと思い込んでいる。

 

 他にも花寺のどかは病弱の身体のことを気にしていて、初変身でプリキュアになったことで「自分の身体じゃないみたい」と喜んではいた。

 それでもプリキュアになったからといって自分の身体のことはトレーニングを続けて中盤以降は体力不足の問題も解消しているくらい自分のことは自分で解決していた。

 それなのに夕凪ツバサはどうだ。プリキュアを自分の一部として認識しているザマだ。プリキュアになったら夢を怠けていいわけじゃないだろ。

 その後は38話でなりゆきで決まった賢者の仕事(これもヨヨがなれって言ったからなったくらい唐突な展開)も別に賢者がどんな仕事するのかは一切触れられてない。

 最終決戦のバリヤも賢者とは直接関係なかった。これもツバサ一人だけの功績である。

 

 将来の夢に無頓着なのも男プリキュアだからなのか。

 そんなことするくらいなら出さない方が良かった。

 

 四つ目は制作陣からの優遇である。

 鷲尾Pが発案。しかし本人も本気で通るとは思ってなかったらしく現場が無理と判断したらボツにする予定だった旨が『プリキュアアニバーサリーブック』に書いてある。

 小川監督(兼シリーズディレクター)はそんな本来通るはずの無かった男プリキュアを主役級の特別扱いすることで通してしまったのだ。これもアニバーサリーブックに書いている。

 男プリキュアは男であるからして最初から特別扱いされて生まれた存在である。

 一人だけデビュー戦が前後回、一人だけ空を飛べる、一人だけハーレム展開などなど…。

 主人公でもなく新商品の販促の絡む追加戦士でもなく特別な事情もなく特別扱いされるプリキュアなどこれまで記憶する限りいなかった。

 男であるから男プリキュアが優遇されるというなら最初から出さない方がよかったとしか言えない。

 脚本がしっかりしていれば綻びも最低限で済んだんだろうが金月龍之介ではそれも無理だったのが1年通して伝わってしまった。

 いい加減な作り、唐突な展開の連続、積み重ねの欠如によるインスタントすぎるエモの連続などなど…。

 駄作としか言えない作品だった。

 

 以上がひろプリが駄作といえる原因である。

 

 

 さてここまで述べるだけだとアンチみたいになってしまうので良い所も挙げて行こう。

 ①音楽

 ②キャラクターデザイン

 ③声優のキャスティング

 

 ①音楽

 深澤恵梨香氏のBGMはどれも素晴らしかったと思う。

 変身時のBGMとアップドラフトシャイニングのBGMは特に好きだ。

 

 ②キャラクターデザイン

  斎藤敦史氏のデザインは『ラブライブスーパースター』の時から拝見しているがシリーズ全体で見るとクセの強いデザインをしている。動いてる時に可愛く見えるのが特徴だと思っていて作画して初めて真価を発揮するデザインだと考えている。

 

 ソラは美墨なぎさオマージュらしくスポーティーなボーイッシュ+青キュアを上手く融合していると思う。

 ましろ雪城ほのかオマージュらしく女児ウケする女の子のデザインだ。ふんわりした雰囲気が良い。

 あげはは少し年上を意識しているだけあってお姉さんらしく見えるデザイン。赤い耳のピアスがいいアクセントになっているだろう。

 エルちゃんは可愛らしい赤ちゃんのデザインになっている。シフォン、アイちゃん、はぐたんの中では一番好きかも。

 

 ③声優のキャスティング

 関根明良さんは『風都探偵』のときめから拝聴しているが、ときめとは真逆の声だと思った。

 元気でなおかつ礼儀正しさが出ていて結構好きな声である。

 加隈亜衣さんはヒープリのラビリン以来のキャスティング。まさか妖精役一度やってからプリキュアになれるとは思ってなかった。

 この可愛い声は一作で終らせるには勿体ないと思ってたので今回のキャスティングは放送前から嬉しかった。

 ソラとは良い対比になっている。

 オールスターズFや全プリキュアライブでラビリン役でも出てくれたのは嬉しいサプライズだったよ。

 七瀬彩夏さんはこれまで存じ上げなかったが、あげはのフランクなお姉さんの声にぴったりだと思っている。

 小清水亜美との共演叶うといいですね。

 古賀葵さんは『かぐや様』の頃から知っている。次第にエルちゃんの赤ちゃん語をモノにしていったのは素直に評価したい。

 エルさん形態の演技はもっと聴きたかった。

 

 以上がよかったところだ。

 

 

 

 ひろプリ、オールスターズ客演路線をキャラ単体で出来る最後のタイミングだったのでそれをやらなかったのはどういうつもりなのかは聞いてみたかった。

 作画に関しては同時期にプリキュア5の配信と見比べることもあって、作画レベル落ちたかと思う有様だった。(個人差あるだろうけど)

 いくらでも名作になれる要素はあったはずなのにそれを全部捨てて男プリキュアを贔屓して積み重ねもやらず唐突なことばかりやって最悪の結末を迎えた駄作になってしまった。

 これでも放送前は最高傑作目指せると思っていたんだよ。

 出来ることなら今からでもやり直せるならやり直したいものだ。

 スタッフでもないから何もできなかった自分の無力さを呪いたいくらい。

 

 ひろプリ、ただただ残念だよ。

ウルトラマンブレーザー 総括

 これまでのニュージェネレーションウルトラマンで良くも悪くも恒例となった連続調のストーリー、インナースペース、登場怪獣の毎作に及ぶ流用。

 それら全てにメスを入れたのが『ウルトラマンブレーザー』である。

 オムニバス調で1話完結ベースの物語、インナースペースの実質(部分的)廃止、新規造形による20体近くの新怪獣たちを用意した田口監督による意欲作だった。

 ニュージェネ以降ずっと願っていた「こんなウルトラマンが見たい」を叶えてくれた作品である。

 

 まず最初に1話完結のオムニバス形式の物語について。これまでのニュージェネでは良くも悪くも恒例だったライバル枠(ジャグラー枠なんて呼ばれてたりもする)を廃止して縦筋はあまり進まない方向性の話をしていた。

 もちろん全話通してファーストウェイブ、セカンドウェイブといった敵襲、V99という謎といった具合に最終章へ向けての布石作りはしていたが、それくらいだ。

 ニュージェネウルトラマン平成ライダーを意識したあまりウルトラマン本来の持ち味が損なわれていたように感じていたのでブレーザーはその辺ちゃんとやってくれたと思う。

 おかげでオムニバス形式の物語が楽しめウルトラマンらしい作風になっていた。

 

 次にインナースペースの廃止。

 インナースペースはどうしてもロボットをコクピットで操縦してる感が出てしまう。

 ウルトラマンなのにロボに乗ってるみたいな問題点があったので、変身者がこっちを向いて玩具をガチャガチャ弄ってるのを今作では廃止して、ちゃんとウルトラマンとして見せていたのが特徴的。

 ただ、これはスタッフ的にはあった方が玩具の販促がしやすいということが、後々手首だけインナースペースを映すというやり方が差し込まれて、分かったので一長一短なのだと思う。

 個人的には無い方がいいんだけどなあ。

 

 最後に怒涛の新規怪獣たちの登場。これが1番すごかった。制作発表会でお披露目になった時思わず声が出るほど驚いた。

 近年の円谷はとにかく予算を抑えるというかケチるというか...特に怪獣のスーツに関してはここ10年近く新怪獣は5体割る年も少なくなかった。

 そんな中での大盤振る舞い、驚かない訳がない。

 見たこともない怪獣が一挙に集結する絵面はワクワクせずにはいられない。

 それほどの衝撃が走ったのを昨日のことのように覚えている。

 これまで既存怪獣の流用ばかりでグビラやゴメス等をどう差別化していくか、去年よりマシな扱いをされているかばかり気にしていた。

 もちろん今の円谷の事情的に毎年新規怪獣をバンバン出せとは言えないのは分かっている。

 しかし、平成ウルトラマンをリアタイした世代でビデオやDVDで昭和ウルトラマンも見てきた私にとっては「見たことない新規怪獣を相手に防衛隊とウルトラマンがどう攻略するのか」というワクワクはウルトラマンを見るにあたっての最大の醍醐味だと思っている。

 そんな中でのブレーザーの新規怪獣大盤振る舞い、ワクワクしないわけがない。

 そして期待通りバザンガ、ゲードス、タガヌラーと怒涛の新規怪獣回が続いたのはもはや懐かしさすら感じる感動があった。

 願わくば毎年のようにこの路線は続けてほしい。

 予算的には難しいだろうから、多少は妥協して毎作の新規怪獣数を増やする方向でこれからもやってほしいものだ。

 

 既存怪獣の扱いもよかった。

 原作では操ったウインダムのパイロットくらいの扱いでしかなかったカナン星人にフォーカスを当てたり、初のウルトラマン戦で本編クライマックスまで圧倒的な強さを誇ったガラモンだったり、現代向けに登場方法をチューンしたガヴァドンだったり、原作とはテイストを変えてきたギガスだったりとどれもよかった。

 

アースガロンについて

 『ウルトラマンZ』のセブンガー以降恒例となった味方ロボット怪獣枠。

 今作はメカゴジラとアーストロンを足して2で割ったようなフォルムが特徴的だ。

 活躍が不遇だとか販促が足りてないだとか言われがちだけどそんなことはない。

 レヴィーラ戦、ニジカガチ2戦目、ゲバルガ2戦目は特にアースガロンがいなければ勝てなかったと言えるくらいアシストをしている。

 怪獣の撃破数を見てもキングジョーSCが特別多いだけでセブンガーはギガスくらいしか倒してないしアースガロンとさほど変わらない。

 イルーゴやデルタンダルB等を撃破している分むしろ多い方だろう。

 販促が足りてないという話もアマゾンのセールランキングで1位を取ったいう話を聞くくらいには売れているので、販促も申し分なかっただろう。

 

 劇中の扱いについて、特空機が理想的な扱いすぎただけで差別化しようとするとアースガロンのような立ち位置になってしまうのはある意味仕方ない気もする。

 強そうな見た目をしているから戦績とのギャップが生じるという話なら、某ツイッタラーさんの言うように今こそビルガモを出すべきではないだろうか(私も好き)。

 強そうな見た目ではないけれど帰マンを追い詰めるくらいには強い、良いギャップもある。

 来年のロボット怪獣枠がどうなるかも楽しみだ。

 

 

大怪獣首都激突

 劇場版ウルトラマン映画としては4年ぶりになるのだろうか。

 スクリーンで見るのに耐えるだけの特撮映像がそこにはあった。

 例えるなら「ラーメン屋に行きラーメンを頼んだらラーメンが出てきた。」当たり前のことかもしれないが昨今そういう作品の方が少ないだけに感動すらあった。

 国会議事堂を破壊するのはミレニアムシリーズのゴジラ以来だろうか。現実では壊さないような建物を怪獣が容赦なくぶっ壊す映像はやはり「特撮を見ている!」と感じさせてくれるようで素晴らしい。

 ストーリーは序盤の対タガヌラー、ズグガン戦から始まりゴンギルガン編へとシームレスに移行していく。25話のその後らしいSKaRDの活躍が描かれていた。

 ゴンギルガンは少年の思いが意思のない細胞と結びつき暴走するまさに妖骸魔獣の二つ名に相応しい怪獣だった。

 後付けとはいえバザンガ戦の特殊弾やゲバルガ戦で使ったチルソナイトスピアの出自が明らかになるなどちゃんとテレビ本編の地続きであることが意識されていた。

 ニュージェネ映画だと一体化していたウルトラマンが故郷に帰ったり正体バレしたり今後の身の振り方を考えるといった後日談的な作りが多かっただけに劇場版ブレーザーは特にそういった要素もなく予算と規模感をリッチにした「26話」という作り方が徹底されていたと思う。

 ラストにゲントの家で焼肉パーティーしながらヒルマ一家に第二子が誕生する祝福ムードで終わっているのが「守りたい日常」を象徴しているようで締め方としてもよかった。

 見たいものをストレートに見せてくれたので特に不満はないのがよかった点だ。

 

 

 ウルトラブレーザー、「こんなウルトラマンが見たかった」という願いを叶えてくれただけで万々歳な作品である。

 願わくば2024年以降もこんな作風のウルトラマンが見たい、そんなふうに思わせてくれた作品だった。

 果たして2024年のウルトラマンはどんな作品が来るのか?今から楽しみだ。

オトナプリキュア 総括

 鷲尾五部作はリアルタイムで平成ライダースーパー戦隊と一緒に見てきた。

 女の子向けではありつつも男である自分が惹かれるものがあった。

 

 そんな鷲尾5部作の総括とも一応兼ねており、プリキュアシリーズとして初のNHKで放送、『プリキュア5』の続編、それが『オトナプリキュア』である。

 まず本作の良かったところを挙げていこう。

夢原のぞみをはじめプリキュア達の成長した姿を公式で描いた点。

 のぞみは学校の先生に、りんはアクセサリーデザイナー、うららは女優、かれんは医者といった風に『プリキュア5』で描写されていた将来の夢を叶えていたのが特徴だ。

 『New Stage3』など将来の夢に触れた作品はあったが公式で成長した姿で夢を叶えた姿を見れるのが良かった。

 

・オ出てくるプリキュアが全員喋る点。

 最近ではめっきり少なくなった「登場プリキュアが全員喋る」展開。今作ではちゃんとそれがある。

 実質オールスターズ最終作である『オールスターズF』でさえ主人公+αくらいしか喋らなかったのには軽く失望していた。

 だからこそプリキュア全員喋るのにはそれだけ意義が大きいのだ。

 

・ココのぞの結婚まで描いた点。

 これが今作最大の良点だ。

 無印からフラグを重ねていったのぞみとココが互いの気持ちに素直になりゴールインした。

 それだけでもこの作品をやった意味は大きいと言えよう。ココのぞの結婚によってプリキュアにおいて他のカップリングでも結婚が解禁されたといっても過言ではない。ある意味転換点であると言えるだろう。

 

 

 さて次は悪かった点だ。

SDGsひいては環境問題がノイズすぎる。

 NHK から枠をもらうにあたっての毎回のノルマであったことはもちろん承知している。

 しかしだ。何もココのぞ結婚後のラストカットで後味悪くする必要はなかっただろと言いたい。

 「これからみんなで意識変えて環境問題に取り組んでいこうね」というのが12話Bパートまでの話だ。そこで環境問題啓発の時間は終わったのではないのか?

 夜の街でチンピラがウェイウェイ騒ぎながらポイ捨てする。そのポイ捨てしたゴミからシャドウか何かに誘発されて怪しく電気が走ってフェードアウト。

 何のカットだこれ。

 続編匂わせるにしてももっとやり方あっただろ。

 ココのぞ結婚の祝福ムードまで台無しになってる。

 最後のカットは環境問題で締めろというNHKからの圧でもあったのか。

 自分たちが直前まで何書いてたのか忘れたとしか思えない構成だった。

 環境問題とココのぞの結婚の要素が明らかに相性悪かった、そうとしか思えないラストだった。

 

・ナツこまの描写がほとんどない。

 上に書いた通りココのぞ自体は文句なしの描写、シロうらは7話でかれミルは3話でそれぞれカップリング回があったにも関わらずナツこまだけ無かった。

 こまちのメイン回でナッツを同席させるなど尺とタイミングはあったはずだが、意図的に外したのかと邪推したくなるほどほとんど絡みがなかったのが現実だ。

 「女性の自立に男性はいらない」それ自体は大いに結構。それがプリキュアの原点なんだからそこに文句はない。だが、他のカップリングは揃っているのにナツこまだけないのはどういうことなのか。

 全12話しかなく1人につきメイン回は1話もない。かれんとくるみのメイン回は抱き合わせだったのでそれも伺える。

 製作陣がライブ感で作ってタイミングがなかったと言うなら何をやっていたのかという話になる。

 こまちのメイン回は8話で、そこしかタイミングは無かったのだからそこでナツこまをやるべきだった。そこでやらなかったということはプロデューサーと脚本家は最初からナツこまをする気がなかったとしか残念ながら結論せざるを得ない。

 

・くるみが総理大臣になる。

 最終回でいきなり出てきた設定。

 ナッツの「ミルクはお世話役に収まらない器」という発言こそあったものの、くるみの夢は「準」の文字が取れたお世話役になることじゃなかったのか?

 鷲尾Pのインタビューでくるみを総理大臣にしたのは「女性の自立がテーマだから」だけである。

 そこに美々野くるみがこれまでやってきたことは無かったのではないか。

 パルミエ王国の王政の兼ね合いにツッコミが入ることもなく本編が終わったので何がしたかったのとしか言えない。

 

・S⭐︎Sの扱いが悪い。

 「20周年というタイミングでS⭐︎Sを出せるタイミングは今しかない。」鷲尾Pのその考えは分かる。私も咲と舞のその後が見られたのは嬉しかった。

 だが12話といういつものプリキュアより限られた尺でS⭐︎Sを描写するには無理があった。

 咲も舞も我々の顔も名前も知らない男(咲の婚約者はたっくんという名前だったが)といつの間にか関係持ってて咲は婚約。舞は破局

 咲に関しては和也どうなったのって言いたい。少なくとも『S⭐︎S』本編じゃ少なからず関係性を積み重ねてたのに何の音沙汰も無しはあんまりだと思う。

 音沙汰がなかったのは和也だけではない。みのりやフラッピたち妖精も含まれる。

 パンパカパンの店と咲の両親まで出しておいてみのりだけまるで最初からいなかったかのような扱いだった。

 咲が20代半ばなので、みのりは高校生〜大学生くらいの年齢だ。寮に住み込みならそう言えばいいし実家暮らしなら登場させることも出来たはずだ。

 なのに尺がないからか一切出てこない有様だった。

 そして1番扱いが酷いのがフラッピたち妖精だ。

 人間の世界と妖精の世界が分断されてる訳でもないのに全く出てこなかった。

 おそらく「プリキュア5がキュアモがないから命懸けで変身するシリアスな展開」に持っていきたいがためにフラッピ達の出番が無くなったとしか思えない。(そもそもこれをやりたいがために大人になるとキュアモが消えるというのも意味不明だが)

 擁護派の人が言う「松来未祐さんが亡くなってチョッピが喋れないから」。

 それを言うならフラッピが代わりに喋ればいいだけの話ではないのか?もしくはテレビ本編の音声をバンクとして流用するとかいくらでも対策出来たはずだ。

 けれども『オトナ』本編では和也もみのりも妖精達も出てこない理由も語られず終わってしまったのだ。

 尺が無いからを理由にするなら最初から出すなと言いたい。

 

・何のために初代を出したのか。

 極め付けがこれだろう。

 11話のラストで苦戦するドリーム達をいきなり現れて颯爽と助けるブラックとホワイト。

 リアルタイム世代だし全く喜ばないかと言われれば嘘になるよ。でも今じゃないだろ。

 しかもこのクライマックスの流れで初代を出すことは鷲尾P主導であるとアニメディア2月号にも記載されていたことである。

 11人とも自分の子供みたいなものだがらせっかくだし全員出したかった、その気持ちはわかる。しかしそれをやるなら最初からなぎさ、ほのか、ひかりも出せという話だ。

 それでちょっと戦闘シーンに顔出ししただけで後は全く出てこない。話そうとしたところで都合よくドリームがタイムフラワーの影響でぶっ倒れたので今のなぎさ達についてはお流れになった。

 一言あったのは「なぎさはアマゾン、ほのかは北極に行ってる」とだけだ。ふたりとも何故が環境活動家ということになってる。

 意味がわからない。無印と『Max Heart』でそんな話は一切してないでしょ。

 環境問題やりたいからって雑にキャラを消費してるとしか思えない。

 しかもひかりに関しては触れることさえしない。

 なぎさ達だけで1クール回せるポテンシャルは十分にあったよ。

 クライマックスにポッと出て終わったのが残念でしかない。

 

 

 

 ここまできて全ての問題はこれに集約される。

 尺がなさすぎる。

 そもそも最初はプリキュア5の続編として始まったはずだ。まほプリ2の発表と同時にそう発表されたのを覚えている。

 それがいつの間にか咲と舞が出てきて、終盤で初代が出てきて、ただでさえ少ない尺に詰め込みすぎなのである。

 NHKから1クールしか確保できなかったのなら1クールで書ける物語に収めるべきだった。

 プリキュア5だけなら十分収めることが出来たはずだ。咲と舞の尺をナツこまとサンクルミエール学園のOG回で1話ずつ使う。それだけで十分掘り下げができた。

 プリキュア5も『S⭐︎S』も初代も単体で1クールで収まらないほどの密度がある作品なのだ。

 それを1クールで無理矢理収めようとして失敗したのが『オトナプリキュア』であると私は考える。

 こんなこと邪推したくもないが、今のプリキュア製作陣はいい加減に作ることに慣れすぎてまともな作品を作ることが出来なくなってるのではないか?そんな風にも考えてしまう。そんなことあってほしくはないけれど。

 

 以上が私が『オトナプリキュア』を見終わった感想になる。

 期待してただけに想像よりも酷いものを見せられたので失望も大きい。

 もし続編やるならプロデューサーと脚本家はもっとしっかりした人にやってほしい。

 

 今のところ『オトナプリキュア』の作った意味はこれだけだ。

 ココのぞ結婚おめでとう。

 以上。

機動戦艦ナデシコ 総括

 機動戦艦ナデシコ、全話完走しました。

 時にギャグ全開、時にシリアスに、時にラブコメを、色々詰め込んだSFロボットアニメとして初視聴なので新鮮で面白かった。

 バリエーション豊かなお話を多数の脚本家陣で展開しているのが特徴的。

 90年代らしさを感じる要素は多々あるが、今の時代でも面白いと感じる人は多いと思う。

 ユリカもルリも今の時代でも人気出そうな要素は多いんだけどなあ。

 

 このアニメの根幹は互いが正義を主張して戦争しているしメインキャラだろうと容赦なく死ぬシリアスなアニメなんだというのが見進めていくと分かる。

 ものすごくコミカルとギャグの皮を被っているので時折忘れるのだが。

 敵の正体が判明したタイミングでこの作品がやりたかったことが明らかになるの構成が上手い。

 

 劇中劇の『ゲキガンガー3』がただの70年代ロボットアニメのパロディではなくナデシコ本編に深く関わる「聖典」の扱いだったのが分かった時には意表を突かれた。劇中劇を本編のギミックとしく組み込むアニメを見たのは初めてだったからだ。(逆にそういうアニメ他にある?)

 アニメを見てどう受け取るか、それは現実でも人それぞれなのでメタ的にアニメを扱ってる側面もありそう。(というかこの感想も受け取り方の一つでしかないんだよな)

 

 エステバリスの首とコクピット以外を換装するフレームスタイルなの斬新でいい。頭を残すことでロボの文字通り顔を残しつつ機体そのものは丸変わりするのが面白い。

 主人公機がピンク色なのも先進的。

 平成ライダーでピンクを使ったライダーは何人か出てくるけどナデシコから10年以上経ってからなのを考えるとナデシコが先進的なことをやってたのが分かる。

 

 アキトがハーレム状態なのが笑いを誘う。矢印向けてるキャラがユリカ、メグミ、リョーコ、アイ、エリナ(?)、(ルリ)とメインキャラの比率がやたら多い。初期案ではここにヒカルとイズミも加わる予定だったんだから思い切りがいいというか何というか。

 劇中でも男性キャラが羨ましい言ってるのがメタ的で面白い。

 最終回でアキトがやっと素直になってユリカの気持ちに応える展開、ベタだけど26話分見てきた甲斐があったよ。

 

 これを踏まえての劇場版の感想は下です。

 

 

 

 

 

劇場版ナデシコ

 とっっっても身構えていたのもあってそこまでドシリアスな作品では無かった印象。

 シリアスなのはアキト周りだけだったかな。

 3年後の設定だけど変わってるようで変わらないナデシコクルーを時にコミカルに、時にシリアスに描いててまさしく劇場版って感じの劇場版だった。

 ルリが主人公なのは当時のルリ人気を反映した結果なんだろうか。

 結果的にルリを主人公にしたのか、最初から意図的にルリを主人公にしたのかは気になるところ。

 

 

 さて、問題のアキト...

 

 

 

 

 ラーメン屋から味覚を奪うな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

 いやまあネットに触れてきて劇場版ナデシコのネタバレは踏んではいたから薄々知ってはいたけどテレビ本編完走してから見ると鬼の所業でしょこれ。

 師匠のもとで経験積んでお墨付き貰ってユリカと2人で店営んでいくっていう話をテレビ本編で着実に進めてたからそれをぶち壊された気分。

 拉致された2人はユリカは最低でも裸晒されて、アキトは脳みそ弄り回されて、ここだけシリアスが振り切ってるんだよな。

 おまけに裏設定で自暴自棄になってエリナと1週間肉体関係持ってたって話。

 ラーメン屋の夢もユリカへの向き合い方も極めて困難(オブラート)になった訳でこの後どうすんのって終わり方だった。

 

 これで続きないって嘘でしょ。

 プロデューサー、早く続編製作してくれよ...。

 

 続編があってルリのナレーション風に言うなら「アキトさんは逃げてユリカさんは起きた。まあこうなったら私たちがやることを一つな訳で...」ってナレーションは絶対あるやつ。

 ナデシコの続編、いつまでも待ってる。

仮面ライダー鎧武 総括

 『仮面ライダー鎧武』完走しました。リアルタイム以来二度目の完走です。

 見返してもやはり面白かった。

 2話ごとに一体の怪人を消化する2話1部構成を廃止したライダー初の連続ドラマ形式のストーリー、龍騎以来の多人数ライダー、玩具もちゃんとギミックを魅せていて改めて出来がいい作品だったのが分かる。

 クウガほどではないにしろ小物アイテムの出自や設定について説明していたりと細かいところまで気が効いている印象だった。

 主演の佐野岳本による素面アクションもいい。

 

 脚本がまどマギ虚淵玄氏なこともあってまどマギとの共通点もいくつか見受けられた。

・2択の運命に抗うために神となって第3の選択肢を選んだ主人公

・敵の正体は人間

・次々退場していくメインキャラ

等等。

 まどマギと鎧武の共通点を見出して見ていくのも楽しかった。

 

 最強フォームの設定として使う度に人外化していくという設定も作品とよく合っていた。

 化け物になっていって人々から拒絶されるとしても戦い続ける主人公、葛葉紘太というキャラ性がよく出ていたと思う。

 異形の存在となっても自由と平和のために戦う戦士はまさしく仮面ライダーであると言えるだろう。

 

 戦う敵も次々変遷していってダレない印象だった。

 1クール目はビートライダーズ同士の子供vs子供→年明けから子供vsユグドラシルという大人→3クール目からは人類vsオーバーロード→クライマックスは紘太vs戒斗と一年通して変化していき視聴者を飽きさせない工夫があった。

 これは翌年以降からのライダーには欠けていた要素であり一体の敵キャラで半年近く持たせるみたいな例がいくつもある現状だと鎧武は上手く敵を変えながら一年持たせたなと思ったものだ。

 

 鎧武がこれだけ面白く玩具も売れた作品になれたのはキャスト、スタッフの頑張りはもちろん虚淵玄氏を始めとしたニトロプラスの脚本家陣が真面目に書いたおかげも大きいだろうと考える。

 鋼屋ジン氏による最終回もよかった。呉島光実のアフターとしてこれ以上ない作りだった。

 いい加減な作りにしている作品が近年見受けられるのを考えると鎧武は本当によく出来ていたなと思う。

 

 

ドライブ&鎧武

 鎧武最後の映画。

 個人的にアルティメイタムからフルスロットルまで冬映画はリアルタイムで見れてなかったので今回の視聴でようやく冬映画を制覇することができた。

 始まりの男となった紘太が倒され、地球を取り込もうとするメガヘクスと地球に残された光実達の戦い。

 残された者たちで懸命に立ち向かう様は鎧武本編にも通じるものがあった。

 旧斬月でゲネシスドライバー持ちのデュークを倒す貴虎はやはり強すぎる。真面目なシーンなんだけど思わず笑ってしまった。

 紘太復活からのBGM『Just Live More』はアツい。ここからの逆転劇もカタルシスがある。

 テレビ本編から一貫して紘太は最後の最後で頼りになるヒーローとして描かれているのが印象的だ。

 メガヘクスによって正確にコピーされた戒斗が速攻メガヘクスを裏切るも忠実に作った結果として良すぎる。

 キャラクターショーでもそうなのだが駆紋戒斗は誰かの下につく人間ではないというのが1年間通して一貫している。

 メガヘクスに対して「バラバラでも個であるからこそ新たな可能性が生まれる」と啖呵を切って、初めて会ったドライブに「お前らいいチームだ」と評されるのは鎧武本編を完走してから聞くと感慨深いものがあった。

 地球を去ろうとする紘太と舞に対し光実たちが引き止めるラストもよかった。ここはテレビ本編最終回との対比もあるのだろう。

 

 テレビ本編終盤でドライバーとロックシードが次々と壊れていきテレビ最終回時点で残っていたのが光実の持つ龍玄用の戦極ドライバー、ブドウ、キウイ、スイカ、メロンエナジー、ローズアタッカーくらいしか地球には残っていなかった。

 Vシネや小説を見据えてかここから徐々に使えるドライバーやロックシードが増えていくのは、少ない戦略でやり繰りしていく中で新しい力が手に入るライダー的展開は、オーズ序盤などを見ているようでちょっとワクワクする。

 映画終了時点で斬月用のドライバー、ゲネシスドライバー、メロンロックシードが増えた形になる。

 『ドライブ&鎧武』、鎧武のアフターとしていい映画だった。

 

斬月/バロン、デューク/ナックル

 スピンオフ、後日譚からなるVシネマ

 斬月/バロンはテレビ本編中のスピンオフ、貴虎の交友関係から始まるユグドラシルの秘密、戒斗のそっくりさんによる入れ替わり回という1話完結でありそうなネタを持ってきた。

 まだ戒斗が生きてて平和だった頃の沢芽市はもはや懐かしく感じる。

 テレビ本編では尺の都合で出来なかったネタをやりたいのが分かる。

 

 デューク/ナックルは前日譚(厳密には1クール目中の話だが)と本編後の後日譚。

 黒の菩提樹という組織は小説に向けた舞台整理のための要素という印象を受けた。

 独自に動き、黒の菩提樹のトップである狗道供界を3流と評し倒す凌馬にはダークヒーローらしさを感じる。

 戒斗亡き後、生き延びたザックが戒斗の目指したものを必死に見つけようとする姿には泥臭さを感じた。

 

 血糊によるちょっとグロめなシーンやカルト集団による自爆テロといったニチアサでは難しそうなテーマが仕込まれていてテレビ本編では出来なかったことをやろうとしているのが伝わる。

 Vシネ限定のフォームやライダーはテレビ本編の整合性を考えながら出しているのが印象的だった。

 リンゴロックシードは信用できない力は要らないという戒斗の信念に寄って砕かれるし、ウォーターメロンアームズはそんな物なくても貴虎は強いので使われないという理屈づけがされている。

 

 『ナックル』終了時点でザック用の戦極ドライバー、クルミロックシード、マロンエナジーロックシードが新たに使用可能に。

 この時点でライダーは3人体制になったわけだ。

 

 

小説 仮面ライダー鎧武

 『ナックル』のその後のお話。

 紘太が出てくるのは最後の最後だけ。光実や貴虎など地球に生きている者達だけで狗道供界の野望に抗い打ち砕くストーリーになっているのがいい。

 なぜならテレビ本編最終回や『ドライブ&鎧武』など諸々の都合や葛葉紘太の登場を抜きにしたら本当はこういう展開にしたかったんだろうなというのが薄々伝わってくるストーリーだからだ。

 

 狗道供界は『デューク』だとオカルト染みた幽霊のような印象だったが真相が分かると一人ぼっちになって成仏も出来なかった哀れな三流科学者に印象が変わる。

 やらかした規模はデカいが彼もまたヘルヘイムの侵食とユグドラシルの実験によって人としての生き方を断たれた被害者であったということだ。

 

 終盤まさか門矢士が出てくるとは思いもしなかった。「世界」規模の話になるならそりゃ出てくるよな〜!と思いながらまさかの登場を楽しんでた。

 クウガからドライブまでチラ見せ程度ではあるが出てきたのも、ここまで平成ライダーを追ってきてくれたファンに対するサービスだと思って嬉しくなった。

 

 冬映画も春映画も夏映画も、全てを包括して無かったことになんかさせないという意地を感じた。

 

 この時点で新しく増えた戦力は鳳蓮用のドライバー、ドリアンロックシード、城之内用のドライバー、ドングリロックシード、光実用のドラゴンフルーツエナジーロックシードになる。これで地球に残っているメインキャラは全員ライダーの力を取り戻したことになるわけだ。

 

 小説鎧武、読んでよかったと思える一冊だった。

 

 

舞台斬月

 ライダー初の舞台化。やはり鎧武の勢いはただ事じゃないのが分かる。

 テレビ本編の成長を踏まえた貴虎が見れるだけでも見た甲斐があった。

 テレビ本編の没案だった「ビートライダーズが反政府派の子供だった」とか「戦極ドライバーを使い続けるとインベス化する」とかの設定をここで使ってくるのかと感心したよ。

 舞台特有の役者を顔出しさせるために中々姿を変えないという縛りも「変身し続けるとインベス化する」という設定にすることで精神的に葛藤を演出しながら理由づけをしているのは上手いと思った。

 

 今作終了時点でメロンロックシードはラスボスに盗られたので喪失。紘太経由でシン・カチドキロックシードを手に入れた。

 『ドライブ&鎧武』で手に入れたドライバーはロックがかかっていないので誰でも斬月になれるってことでよかったのかな。

 今回手に入れたプロト龍玄用のドライバーはインベス化の恐れがあるので、この後日本に戻った貴虎はちゃんと正規用のドライバーを調達したと思いたい。

 

 ゲネシスでも強い貴虎がカチドキになったら誰も手をつけられないくらい強くなってしまうの笑っちゃうんだよな。

 

 

 

グリドンVSブラーボ

 2023年現在で制作的にも時系列的にも鎧武最後に位置づけしている作品。

 一流のパティシエになって調子に乗った城之内に(勘違いもあったとはいえ)鳳蓮が喝を入れに来るお話。

 最後は師弟愛で締めるのもらしい展開。

 初瀬ちゃんが精神体(?)で城之内に手を貸してくれる展開はよかったよね。1クールとは2人の友情は確かにあったんだと再確認できる。

 カチドキを手に入れて最強になった貴虎。初登場のライダーを一方的にボコボコにする様は面白すぎる。

 ヘルヘイムの変種と出処不明のロックシードを使う女。おそらく今後を見据えて用意したギミックなのだろうがここから新作が作られてないので今のところ無の設定になっている。活かされる時が来てほしい。

 

 鎧武、10周年なので何かしら企画が動いてほしいと思っている。やはりテレビ本編を否定しないVシネをやってくれるのが理想かな。

 鎧武、やはりよく出来ている作品だし大好きな作品であるのを再確認できた。

 鎧武の歴史はこれからも続いていってほしい。

仮面ライダーウィザード 総括 希望であり続ける魔法使い

 『仮面ライダーウィザード』全話完走しました。

 人々をファントムに変えないために絶望を希望に変える魔法使い、操真晴人=仮面ライダーウィザードの物語。

 晴人最大の魅力はやはり「等身大の青年が無理してでもみんなの希望になろうとする」ところだと思う。

 魔法の力を手に入れたのは後付けで元から人間離れしてたわけでも強大な精神力があったわけでもない。

 ファントムを増やす儀式=サバトで希望を捨てなかっただけにすぎないのだ。

 晴人本人はごく普通の青年という設定が魅力的だと思う。

 そんな晴人と白い魔法使いの最も違うところは凛子や瞬平、仁藤といった頼れる仲間たちがいるところだろう。

 魔法を使えたりコヨミを救いたい共通点はあっても両者の存在は決定的に違う。

 45話で目的のためにゲートを囮に仕掛けた晴人に瞬平が喝を入れたのが顕著だ。

 

 本作は要所要所でも最終章でもただハッピーエンドを迎えないのが今作の特徴でもある。

 ゲストキャラの大きな願い(例:和菓子屋の経営を立て直す)は叶わないが小さな希望は残る(例:弟子が他の店で自分の店の味を残す)といった構成が印象的だ。

 それはメインキャラにも適用されており晴人は結局コヨミを救えなかったがコヨミが遺したものはあったり、仁藤は研究のために命がけでキマイラを宿し続けたが人々を救うためにキマイラを手放すだったりと誰1人大きな願いを叶えられていない。

 震災からまだ一年ほどしか経っておらず作品全体でどこか暗い影があったのが印象的だ。

 それでも希望は残っているのが『ウィザード』の特徴といえるだろう。

 

 構成として気になったのは最強フォームのインフィニティースタイルの出し惜しみだろうか。

 晴人自身の魔法でありノーリスクで最強クラスの力を持っており使わない理由がない。

 しかし2話1部構成という都合上前半のうちに怪人を倒せない(32話のボギーなど一部例外はある)ので使えば瞬殺できるような怪人(38、39話のバハムートなど)相手でもインフィニティーを中々使わず苦戦する構成になったのは気になる点ではあった。

 「魔力の消費が大きすぎて無闇に使えない」みたいな設定でもあれば見ているこっちも納得はできるがそういう設定もないので所謂舐めプと言われるのも否定できない。

 クウガから12年続けてきた一体の怪人で2話持たせるという「2話1部構成」がこの辺で一度限界を迎えたのは事実だろう。

 ここから鎧武が連続ドラマ方式になったのはある意味当然の結果かなと思う。

 しかしそれも10年経つともはや懐かしく感じ、令和ライダーの現状を見ると『ウィザード』も良くできた構成だったと思い知らされた。

 今の『ガッチャード』はまた2話1部構成をやろうとしているのでそこは期待したい。

 

特別編

 52、53話は今までの平成ライダーを総括する特別編という構成だった。

 石田監督によるギャグテイストの強い冒頭から怪人に変身する少年少女の苦悩する物語でもあった。

 フォームチェンジや必殺技も次々披露されヘタな春映画よりも豪華な回であった。

 関俊彦氏本人の声で喋る電王や井上正大氏本人が演じる門矢士=ディケイドなどファンサービスも欠かせない。

 この世界から出たいという少年少女の大きな願いは叶わなかったが、怪人ではなくライダーになれるかもしれない希望は残ったという意味で特別編も『仮面ライダーウィザード』の物語であったといえる。

 二話一部構成の最終作に相応しい最後だった。

 このまま続いて『鎧武』も見ていきたい。

 

 

天下分け目の戦国MOVIE大合戦

 晴人とコヨミ、最後の映画。

 ファントムのオーガによって奪われたホープリングによってコヨミと戦わせられる晴人。

 そんな絶望的な状況でも輪島のおっちゃんらの助言を経てコヨミを倒さずに救い出すのは実に晴人らしいなと思った。

 瞬平の作ったチチンプイプイリングで晴人が分身して、晴人のアンダーワールドの中に晴人が入っていけるのはウィザード最後の冬映画らしい展開だなと思った。

 晴人のアンダーワールドの中ではウィザードは無敵なのが最後らしいズルさ。

 仁藤は再びキマイラを宿してヘルヘイムの実を食わせることで魔力の代わりにしているけど、ヘルヘイムの実はほぼ紘太が最後に回収したはずだが仁藤はその後どうしたのかは気になる。

 アフターとしてウィザードらしく手堅く纏まった映画だった。

小説仮面ライダーウィザード

 『鎧武&ウィザード』の後の時系列の話。

 晴人と凛子目線で描かれる最後のお話。

 この2人、テレビ本編だとあまり描かれなかった関係性だけど互いに似たもの同士でコヨミ亡き後だと惹かれ合うのは当然だったんだなあと言うのが分かる。

 晴人最後の敵が心の中で思っていた自分自身の感情というのはウィザードらしい最後の敵だなと思った。

 ラスボスへのトドメがパンチで締めるのもウィザードらしいフィナーレだった。

 手堅く堅実に心情を積み重ねる、ウィザードらしさに富んだ小説だった。

 

 

 『ウィザード』は派手さこそないものの物語を着実に積み重ねるタイプの作品だったのがテレビ本編から小説まで通して再確認できた。

 派手なタイプの作品である『フォーゼ』や『鎧武』に挟まれてるので割を喰らいがちな作品ではあるがやはり『ウィザード』は好きな作品であると思えた。

 またどこかで新作に出会える日を楽しみにしていたい。