魔法少女まどか☆マギカ 総括

 『魔法少女まどか☆マギカ』全話完走しました。

 可愛いキャラデザから想像できないようなダークで幻想的なストーリー。

 願いを叶えるという代わりに魔法少女として死ぬまで戦い続ける契約を背負わされた5人の魔法少女の物語だった。

 

 途中印象的なのは「魔法少女は契約したら人間じゃなくなってしまう」とか「ソウルジェムが濁り切ると魔女になる」とかキュゥべえ、お前大事なことは最初に言えよって言いたくなる奴だった。邪悪...!

 

 

 脚本の虚淵玄氏が『仮面ライダー龍騎』が好きなのもあって『龍騎』のオマージュが随所に見受けられた。

 序盤で死ぬことでその作品を象徴する存在となる巴マミ(≒須藤雅史=シザース)とか、親しげにしてくれる暁美ほむら(≒神崎士郎)に食い物を差し出す佐倉杏子(≒浅倉威)とか。

 何度時間を巻き戻しても変身する運命にある鹿目まどか(≒城戸真司)や愛する者のために戦いに投じた美樹さやか(≒秋山蓮)などキャラ面でもオマージュが見受けられてこれは龍騎見てないと真似できないなと思える出来栄えだった。

 中でも杏子がまどかに言った「命を危険に晒すということは他に選択肢がないやつがやること」という台詞は、蓮が真司に言った「そのバカなことにしか賭けられない人間だけがライダーになる。戦って生き残ることしか考えてない」というのに似ている。

 戦いに自分から巻き込まれていくのは命を賭ける理由がないと自分からしようだなんて思わないからだ。

 

 その後虚淵玄氏が携わった『仮面ライダー鎧武』で、人間だった化け物(魔女≒インベス)だったり世界を根本から変えるために神となった主人公(まどか≒葛葉紘太)だったりと虚淵氏の手癖のような共通点も数多く見受けられた。

 

 後は『新世紀エヴァンゲリオン』の影響を受けたからかカット割りやシーンの繋ぎ方などどことなくエヴァっぽかった。OPもそれっぽいように見える。

 

 

叛逆の物語

 テレビ本編を踏まえた上での『叛逆の物語』、よく言われるようにテレビ本編が「最悪のハッピーエンド」とするならば『叛逆の物語』は「最高のバッドエンド」だった。

 鹿目まどか1人を犠牲にすることで魔法少女の犠牲も魔女の発生も最初から無かったことにする形でハッピーエンドとしていたのがテレビ本編。

 だか暁美ほむらはそんなのハッピーエンドじゃねえと言わんばかりに神となったまどかの人間の部分だけを切り離し、また新しく世界を作り替えたのが『版逆の物語』である。

 神にすらも対抗できる存在となったから悪魔。「ラスボスはデビルほむら」というネットミームは要点を捉えた説明だったのが分かる。

 しかし人間の部分だけを切り離したとはいえ神であった鹿目まどかはふとしたことで神に戻ろうとする不安定な存在。

 今はそれをかろうじて繋ぎ止めているだけなのが分かるラストだった。

 

 『ワルプルギスの輪廻』では神に戻ろうとするまどかとそれを阻止しようとするほむらのせめぎ合いがメインテーマになるんじゃないかと予想する。

 『ワルプルギスの輪廻』今から公開が楽しみだ。

獣電戦隊キョウリュウジャー 総括  王道!熱き勇者の獣電戦隊

 (2023年9月時点の記事です。)

 『獣電戦隊キョウリュウジャー』全話完走しました。

 まさに王道。名乗り、巨大化する敵キャラ、腕組み替え式のロボ、ゲストキャラお悩み相談を経てのメインキャラの成長というフォーマットなど今の戦隊が異色続きなのもあって相対的にもすごく「スーパー戦隊」してる作品だった。

 個人的にリアルタイムでは、前年がビターテイストな『ゴーバスターズ』でちょっとハッピーエンドから離れた作品が好みな時期なこと、ちょうど特撮を世間一般でいう「卒業」の時期に入っていたこと、『アバレンジャー』世代だったのでまた恐竜戦隊かと思い対象年齢下げられた感があってキョウリュウジャーは見なかった。

 今完走すると仕方ないとはいえ惜しいことをしたなあと思った。

 

 全話三条陸脚本で音楽は佐橋俊彦氏。メイン監督が坂本監督なので明るくカラッとした作風が印象的。『フォーゼ』もそうだったが坂本監督が1から企画を立ち上げる作品は結構好きな傾向にある。やはりオリジナルで作った方が上手くいく人なんだなと再確認できた。

 初チーフプロデューサー作なのもあって大森Pの悪癖も薄いのでストレスなく見れた。

 ラスボスが猛威を振るう期間がやたら長いのが大森Pの作風なのでそれが極力少ないからだ。(最終章入って最初の2話くらいしかなかった)

 あとラッキューロはかわいい。これは事実。

 

 玩具も売れに売れたらしく『ゴーカイジャー』を超える売上だったと聞く。

 やはり明るい王道の戦隊は売れるのだなと思った。

 

 

 今では人気俳優の仲間入りである竜星涼や飯豊まりえ等も10年前の作品なのもあってすごい初々しく見えた。

 戦隊も新人俳優の登竜門なだけあってこの世代のブレイク率は結構高いと思う。

 

 『キョウリュウジャー』、完走してよかったなと思えた作品だった。

 『キングオージャー』での客演、今から楽しみだ。

 そもそもキングキョウリュウレッドが竜星涼演じる桐生ダイゴなのかという問題はあるけど。

 キョウリュウ本編や『帰ってきた』でも戦隊は受け継がれるものというのは一貫していたけど10年経った今更キング以外のキョウリュウレッドが見たいかと言われればNOである。

 うまい落とし所があれば納得するかもしれないけどそれは製作陣の腕次第かな。

 ラスボス、デーボスが蝶モチーフでデーボスを作った「あの方」の存在が『キングオージャー』と関係ありそうなのでその辺何か触れそうではある。

 もしかしたら『キングオージャー』が『キョウリュウジャー』の続編という形もあり得そう。

 キョウリュウジャー10th、Vシネマもやってほしいし今から楽しみだ。

ガメラリバース 総括

 『ガメラリバース』完走しました。

 自分の中でガメラは正直今まであまり関わりなかったコンテンツ。

 なので「この要素があの作品のオマージュ」みたいな楽しみ方は出来なかったのでとてもフラットな気持ちで見れた。

 なので初心者目線で今作を語っていきたい。

 話は男子小学生たちによる冒険SFジュブナイルストーリーといったところだろうか。

 ふとしたことから怪獣災害に巻き込まれた主人公「ボコ」、お節介で心配性な「ジョー」、オカルトに博識な「ジュンイチ」、ガキ大将的なアメリカ人の少年「ブロディ」4人の物語だった。

 一夏の大冒険で片付けるには壮大な話だったように思える。怪獣騒ぎから始まって気づけば宇宙人の陰謀めいた計画まで起きたのだからスケールがデカくなっていったのを感じる。

 

 終盤まさかジョーが退場するのは唖然とした。

 こういう時子供は犠牲にならないのがお約束みたいなのがあったのでそれを破ってくるのはいい意味で裏切られた。

 最終回ラストの台詞からしてジョーは結局生きているのだろうか。続編を示唆するシーンだと思いたい。 

 

 ガメラが子供を守る理屈はよく分からなかったが、ウルトラマンが理由もなく地球を守るようになったのと似た感じだろうか。

 意外とダメージ描写があるというかギロン戦で片目を手裏剣で刺されたり、右腕をギロチンされたりと割とグロめなのはガメラの味なのかなと。(ここは特撮版見てないのでなんとも言えない)

 登場怪獣も個性的でよかった。

 切断属性を持った超音波メスを放つ空飛ぶギャオス。

 尻尾でチクチク刺す四足歩行のジャイガー。

 エイのような体を持った水棲のジグラ。

 前述の通りナイフのような頭で切り裂き、手裏剣を放つギロン。

イカのような体でレーザーに飛行となんでもありなバイラス。

 毎回個性豊かな怪獣がガメラとバトルを繰り広げるのは、新規怪獣をバンバン出してくれるウルトラシリーズみたいでとてもワクワクした。

 「ガメラの敵キャラといえばギャオス」というフォーマットがあるからか今回もラスボスは、異常進化した「Sギャオス」と呼ばれるギャオスだった。

 

 怪獣のグラフィックは非常によかったが、一方で人間キャラのCGモデルは、怪獣に予算使ったからかやたらカクついて見えた。

 慣れればどうってことは無くなるが1話は特にそればっかり気にしてたなと。

 特に数シーンとはいえ冬の時期のシーンで半袖なのはどうにかならなかったのかと思う。

 まあ欠点らしい欠点はそれくらいだと思う。そこに目を瞑れば怪獣バトルが堪能できるのは怪獣作品として申し分ないと思う。

 

 前述の通り続編があるかもしれないのでそこは期待したい。

 

 

 『ガメラ』、いつか歴代作品見ていきたいなと思う。

機動戦士ガンダムSEED DESTINY 総括

 前作『ガンダムSEED』に続き『ガンダムSEED DESTINY』完走しました。

 ガンダムシリーズでは数少ない続編もののテレビシリーズ。

 

 自分のリアルタイムの思い出は第3期OPに変わってインフィニットジャスティスが出てきたタイミングから最終回までをおぼろげに記憶に残ってるレベル。

 正直あんまり覚えてないので初見に近いと言っていいだろう。

 

 玩具面ではインパルスガンダムの描写がよかったと思う。Vガンダムのようにコアファイター枠のコアスプレンダーと上半身と下半身に当たるユニットがそれぞれ合体するギミック。

 また背中にはそれぞれシルエットシステムと呼ばれる武装兼スラスターが合体することでストライクガンダムのようにタイプチェンジする仕組みだ。

 例えば劇中で足を壊されたインパルスが母艦ミネルバからレッグフライヤー(インパルスの下半身)を送ってもらうことで即座に5体満足状態で戦闘継続することができる。

 またフォースインパルス状態でソードシルエットを送ってもらうことで、フォームインパルスのままソードの武器が使えるイレギュラーな戦いがあったりと玩具ギミックと噛み合っていてそこはすごくよかったと思う。

 

 

 さて、ネット上では酷い酷いと言われている今作。ハードルを低くして見ていたという面もあるが、自分はそこまで思っていたより酷くはなかった。

 まあ回想や総集編、バンクの多さは確かに気になりはしたし、粗も多く疑問点も多々残るが、ネットでボロクソ言われるほどでもなくないかとは思う。

 これは同時期に出来の悪い作品を見ていた影響もあるので個人差が大きいかもしれない。

 まあ記憶を取り戻してからステラのことにほぼ触れなくなったムウとか最終決戦で宇宙に上がってから喋らなくなったカガリとか細かいところを挙げればキリがないけど。

 

 オーブでの戦闘で家族を失ったシン・アスカが主人公。戦うための力を手に入れてザフトのMSパイロットとしてその才能を振るう物語...確かに途中まではそうだった。

 事前に情報を仕入れてたとはいえ、ラスト3話で主人公が名実ともにキラに変わった時はさすがにマジかと思った。

 それまでもどちらかといえばキラやラクス達アークエンジェル隊の面々の方が出番が多い回が徐々に増えてきたとは思っていたが。

 『DESTINY』の途中で劇場版の制作が決定して、おそらくそのために色々と修正が加えられた結果なのだろう。

 話を劇場版に繋げるために『DESTINY』は続きを書けるように終わらせる痕跡が見える。

 キラ達がギルバート・デュランダル議長の提唱するデスティニープランを否定したのも「運命や遺伝子に支配される道を歩むくらいなら混沌であっても自由な世界の方がいい」ということだ。

 実際デュランダル議長の劇中の行動から見てもデスティニープランが採択されたとしてそれは議長の支配する世界に成り下がるだけなんじゃないかと私は思う。

 現に劇中で「プロパガンダラクス=ミーア・キャンベル」を自分の都合のいい言葉を吐かせるための道具とし、本物のラクスには存在してると都合が悪いからと暗殺(未遂)を実行したり、自分のやり方に背くアスランを消そうとしたりと逆らう奴は排除するという意思が見られた。

 キラ達は議長が仕組んだラクス暗殺未遂に巻き込まれたことで、それまでの支配者であった「ロゴス」を滅ぼしてしまっても議長がその後釜に入るのでは世界が変わらず意味がないというのがキラ達の考えだ。

 だから妥協的とはいえ争いだらけの世界を止める方法としての「デスティニープランを否定=キラ達は何も考えずに動いてる」はちょっと違うと思う。

 

 それまでの主人公であったシンはつまり「ヘリオポリスでキラに再会せずカガリとも出会わず戦うことに考えなくなったアスラン」なんじゃないかなと考えている。

 先にやられてからやり返す、憎しみだけで動いていたのはSEED1話以前のアスランとよく似ている。

 

 道を示してくれる先輩もおらず、肝心のアスランは自分のことで精一杯。議長やレイ・ザ・バレルはシンを駒にするために甘い言葉しかかけない。

 これではシンは自分で考えて自分の意思で戦うことは不可能だと思う。

 妹のメイリンスパイ疑惑の一件でそれまでの戦いに疑問を持ったルナマリアがシンを止めにかかったのも終盤の終盤だったし。

 ストーリー修正の影響を受けたのもあってシンは自力で成長する機会に恵まれないまま『DESTINY』が終わったように見える。

 最終回の「選ばれた未来」でキラと分かって初めて会うところでやっとシンは憎しみで復讐するのではなく守るために戦うことを本当の意味で知れたのではないだろうか。

 

 ここから繋がる『劇場版ガンダムSEED FREEDOM』、シンの成長も含めて見届けるしかない。

仮面ライダーギーツ 総括 熱望:令和ライダーの限界点

 『仮面ライダーギーツ』全話完走しました。

 『ゼロワン』、『セイバー』、『リバイス』と製作面で平成ライダーのノウハウがキチンと活かされてなかったり、大人の事情で片付けるには大きすぎる問題が続いたりともう令和ライダーへの気持ちが冷めかけていた時にスタートしたのが『ギーツ』である。

 ライダーのチーフプロデューサー4作目となる武部直美Pとライダー3回目のメインライターでエグゼイド以来全話脚本担当した高橋悠也氏の脚本という布陣。

 その甲斐あって令和ライダーの中では1番といっていいくらい比較的ちゃんとしている作品だった。

 また平成2期以降のライダーの問題点にも一石投じた意欲作でもあった。

 まず挙げられるのが、平成2期以降悪い意味で恒例となっているクリスマス商戦用のライダー派生フォームのおびただしい数。

 登場させてから片手で数えられるくらいしか登場しないフォームを、両手で数えきれないくらい個数を出してくるのである。

 製作陣も明らかに持て余しているのが伝わり、尺と予算を圧迫しクリスマス商戦の売上を稼ぐためだけの存在でしかないのが多数だ。

 クリスマス超えたらまるで存在しなかったかのように出てこなくなるのが大半だからだ。

 

 以上の問題を『ギーツ』は派生フォームを全員共通で使うという方法で見事に捌いたのである。

 マグナム、ブースト、ゾンビ、ニンジャ、ビート、フィーバー、レイジング。クリスマスまでの1クール目だけで大型バックルをこれだけ出している。

 だが、ライダー1人1人に基本フォームという形で与え、ブースト、フィーバー、レイジングは強化フォーム扱いで出すことで持て余すフォームの数を極力少なくした。

 特に序盤から中盤にかけて切り札的存在のブーストとバッファ強化フォーム扱いで終盤まで登場したフィーバーは印象的だ。

 玩具ギミックのリボルブオンも死に設定にならず最終回までちゃんと出していたのは素直に褒めたい。

 

 

 次に1年間の構成だが、特に最近は怪人に使える予算が少なすぎて1人の敵ライダーや戦闘員だけで半年近く無理やり引き伸ばすケースも多い。いわゆる中弛みだ。『ビルド』のエボルトが悪い意味で印象的。

 怪人を倒せないのでずっと同じことの繰り返しになりストーリーも牛歩レベルでしか進んでいないことも多い。

 『ビルド』でいえばエボルトを倒せば全て終わるのに、倒す敵がエボルトしかいないから延々と倒せないまま尺を使うようなものだ。

 

 そこで『ギーツ』はデザイアグランプリなどで定期的に舞台を半ば強制的にチェンジするという方法に出たのである。

 こうすることで定期的に物語の山場と終わりを儲けることが出来て作品の空気を変えることが可能になった。

 これは高橋悠也氏の手癖とも相性がよく、登場人物同士の掛け合いの矛盾や綻びなども無かったことにできる利点もある。

 『ゼロワン』の時は舞台を変えられなかったので最終的に脚本面で酷いことになった。

 『エグゼイド』の時はライダーが医者という性質上患者のオペに集中さえしていれば物語や登場人物の積み重ねの破綻が目に見えにくいというものだったので、『ギーツ』はそれに近い。

 定期的に舞台設定を変えることが出来たおかげで1年間大きな破綻が無かったのは進行上大きいと考える。

 

 また、ライダーの数も上手く捌けていた印象だ。

 放送前から多人数を売りにしていたが実際は4〜7人を行ったり来たりしていた。

 これは元祖多人数ライダーである『仮面ライダー龍騎』と同等の水準だ。

 実際登場ライダー自体は30人を超えていたが入退場を繰り返していたことで持て余すライダーの数も極力抑えられていた。

 その工夫は素直に褒めたい。

 

 が、やはり根本的な問題点は解決されず、『ギーツ』が今のライダーの限界点であったのが露呈したと私は思う。

 例えば、次作の『仮面ライダーガッチャード』は放送前で既に2ライダー(ヴァルバラドは魔進チェイサーのように後からライダーになる枠と推測)、5フォームが確定している。

 さらに1クールごとに新玩具用のフォームが増えるので最低9フォーム、ライダーも確実に年明けには1人以上は増えるだろうからライダーは最低でも3人出る。

 つまり既に3ライダー以上、9フォーム以上確定であるといっていい。

 『ギーツ』と違い『ガッチャード』は今のところライダー同士で派生フォームを流用できる仕組みも設定もない。ガッチャードに新フォームが追加されていくたびに持て余すフォームが確実に増えていくのである。

 そうなれば「『ギーツ』は派生フォームの扱いが良かったが、『ガッチャード』はダメだった。」そんな話になりかねない。

 やはりライダーの数、フォームの数を減らすという方向に持っていかないと根本的な問題は解決できないと思うわけである。

 バンダイも商売でやっているのでそんな簡単なことではないのは理解している。しかし、このままではいつか製作陣的にも玩具数の数とスケジュールに対応出来なくなる事態が来るのではないか。いや既に起きているのではないのか。

 新進気鋭の脚本家やスタッフを呼んだとして、あまりに膨大な玩具数とその過密なスケジュールによって脚本的にグダグダになった例を『リバイス』をはじめいくつか見てきた。

 もはやライダーの現場に慣れきったスタッフでなければまともに1年間やっていけないのではないかとさえ考えている。

 

 

 もう一つ大きな問題は自主規制だ。

 平成ライダー初期、白倉伸一郎さんがプロデューサーをやっていた頃はクレームが来ても白倉さんが受け止めていたという話を、脚本家の井上敏樹氏がよくインタビューで話していたのを聞いたことがある。

 が、最近はクレームに必要以上に反応しているのか、やらなくなっている表現も多い。

 怪人が人を犠牲にする描写、グロまでいかない簡単な出血シーン等等。

 『ギーツ』放送当時、同時期に東映特撮Youtubeチャンネルにて『龍騎』が配信されていた。

 『龍騎』はやはり思い出補正抜きにしても出来ることも多かったし面白かった。

 正直『ギーツ』のやっていることはマイルドな龍騎でしかなかったと私は考える。

 同時期に『龍騎』の配信をやっていたことで今の日曜朝の『ギーツ』はここまでしかできないのか。そう思わされたのだ。

 時代の流れ、といえばそれまでだが。

 

 

 もちろんギーツはギーツで令和ライダーでは初めて楽しませてもらった作品でもあるので高評価はしている。

 ただ、それが令和ライダーの限界点なんだなという現実を思い知ったのも事実だ。

 

 これから『ガッチャード』には期待したい。ここで書いた感想をいい意味で裏切ってくれるような作品になってくれればそれはもう大歓迎だ。

 

 Vシネ『ギーツ』も見に行くぞ。

 『仮面ライダーギーツ』ありがとうございました。

機動戦士ガンダムSEED 総括

 『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM 』の予習も兼ねて『機動戦士ガンダムSEED』全話完走しました。

 子供の頃にコンテンツとしては触れていてPS2のゲームやったりストライクガンダムガンプラ作ったりするくらいには好きだったけど全話通して見るのは実は初めて。

 現在でも根強い人気を誇るだけあってどこを取っても素晴らしい。

 まず音楽は個人的に『ウルトラマンガイア』などを担当された佐橋俊彦氏。雄大で神秘的な音楽が特徴。その中にあるヒロイック性がバンダイの玩具番組とよく噛み合う。

 次にデザインはキャラデザが平井久司氏。男性キャラはカッコよくて女性キャラは綺麗な印象。どこか哀愁漂うデザインが『ガンダムSEED』とマッチしている。

 メカデザは大河原邦男氏と山根公利氏。近未来的でシャープなデザインは20年経った今でもカッコいい。中でもストライクガンダムは今でも大好きである。

 

 前置きはこの辺で、つまり『水星の魔女』を見終わったことで自分の中のガンダムへの熱意が再び燃え始めたので思い切って『ガンダムSEED』を見ることになったのである。

 

 まず全話見て思ったのは想像してたよりも話が重い。20年前の作品だったり最新作の『水星の魔女』が比較的ライト寄りの作品だっただけに相対的に重く見えた部分はあるけどそれでも重かった。

 ありのままの人類である『ナチュラル』とその共同軍事体である「地球連合」。

 もう一つの勢力が遺伝子操作して生まれた『コーディネーター』とそのコーディネーターが宇宙で住むプラントによって結成された「ザフト」。

 それぞれの出自と立場に葛藤しながら親友を撃たなければならないかもしれない苦悩を抱えるキラ・ヤマトアスラン・ザラ、2人の物語であった。

 まずはキラ。コーディネーターでありながらナチュナルの友達を助けたいために連合軍のパイロットとなってガンダムに乗る主人公。

 周りの連合軍からは裏切り者のコーディネーター呼ばわりされ肝心の友達からはコーディネーターであることで無意識に差別的な扱いを受けて壁を作られ苦悩している様子が伝わった。

 アークエンジェル艦長のマリュー・ラミアスや先輩にあたるムウ・ラ・フラガは時折りフォローしてくれたりはしたが根本的な解決には至らなかった。

 キラの苦しさを理解してくれる人はアークエンジェルには誰もいなかったのである。

 

 次にアスランザフトの実質トップである議長を父に持ち、ザフト軍エリートの証である赤服に身を包んだいわゆるライバルキャラのポジション。

 しかしガンダム強奪作戦の最中、親友のキラが敵であるストライクに乗っていることを知り、戦わなければならないことに苦悩する展開で悲劇性のある構成になっている。

 敵は倒さなければならないが、親友と戦いたくはない。キラもアスランもそのことで矛盾を抱えながら葛藤する様子が『ガンダムSEED』1番の見所であったと言えよう。

 特に28話でエンディング曲『あんなに一緒だったのに』をBGMに、不意に再会してしまった2人がフェンス越しに会話しながらエンディングに入るシーンは間違いなく名シーンと言えるだろう。

 また、お互い今ここにいるという存在を認識してしまったためにこの後戦わなければならない悲劇性を醸している。

 やがて2人は互いの友達や仲間を討ってしまったことで本気の殺し合いにまで発展してしまうのが哀しい。

 ストライクvsイージスのラストバトルは作画でも気合いの入ったものであり緊迫感があった。

 本気で殺し合った(未遂で終わった)ことからそこから憎しみだけでは何の解決にならないと悟り、自分たちの意思で大局に影響を与えようと決意するのがこれまでの積み重ねを感じた。

 そこからのキラのフリーダムガンダムの初陣、アスランジャスティスガンダム参戦からの共闘と、ストーリー的にもバトル的にも盛り上がる構成になっている。

 

 そして物語終盤キラは五万体以上の「試作品」の末生まれたスーパーコーディネーターであることが判明する。自らの生まれすら人の業を背負わされたことにキラは再び苦悩する。

 また同じ頃にザフトラウ・ル・クルーゼアークエンジェルパイロットのムウ・ラ・フラガの父親のクローンであることをカミングアウトする。

 コーディネーター技術もクローン技術も人類の夢であること同時に人の業の化身であることが強調されていた。

 クルーゼはそんな業に取り憑かれた人類など滅ぼせばいいと考えるが、キラは「それでも守りたい世界があるんだ」と奮起することでクルーゼを討つ。

 とにかくキラを悩ませ虐め抜くことに執念を燃やしていた印象だ。

 とにかく自分のことで悩んでいた、それがキラであると私は考える。

 少なくともネットで言われているような「何も悩まず舐めプするだけの主人公」ではない。

 何のために戦うのか、誰のために戦うのか。キラはその思いを秘めてガンダムという力を手に入れ戦う。それが『ガンダムSEED』だと私は思う。

 

 少なくともこの時点ではネットで叩かれてるほど悪くはないと自分は考える。

 製作スケジュール面から何度も総集編を差し込まれたり、戦闘シーンの作画の流用も目立つが、それは後のガンダム作品からも分かる通り無謀なスケジュールであったことは理解している。

 名作『機動戦士ガンダムSEED』見ることが出来てよかった。

 次回作の『SEED DESTINY』も引き続き見ていきたい。

仮面ライダーフォーゼ 総括 〜四・十・熱・狂〜

 『仮面ライダーフォーゼ』全話完走しました。

 震災直後の作品なのもあって明るくコミカルな作風がやはり印象的。シリアスさが抑えられており、実際本編で退場したキャラもサジタリウス、レオ、ヴァルゴ、リブラと敵側の大幹部クラスのゾディアーツ怪人のみに留まっていてモブキャラも含め劇中の死亡者は歴代トップクラスで少ないと考える。死に敏感な時期だったのも関係しているだろう。

 

 劇場版オーズでも触れられていた「人と手を取り合うことの大切さ」をフォーゼは一年間通して作中のテーマにしていた印象だ。

 現に如月弦太郎の心を通わして「ダチ」になる一連の展開が、エレキステイツやファイヤーステイツなど新フォームの販促にも関係していたりそれ自体が物語の積み重ねになっていたりと人と関わり合う大切さを説いていたと思う。

 ライダー部みんなの絆でなれるコズミックステイツやこれまで関わってきた天高全員の力でなれたメテオフュージョンステイツが代表的だ。

 

 スイッチ40個に関しては確かに持て余していたように思う。ライダー40周年にちなんでいたり、ダブルで2つのメモリでオーズで3つのメダルだからフォーゼは4つのスイッチにしたという理屈は分かる。40個にしたのは○、×、△、□で10個ずつにしたかったからだろう。40周年なのに20個とか半端な数にするのもおかしいからと解釈しておきたい。

 それでも40個もスイッチを出したのは多すぎであり現にフォーゼが使ったスイッチとしてはメディカルやハンドなど一度しか使われてないのも多いのだ。

 ただ全部合わせてテレビ本編で出したスイッチを40個(メテオ専用のスイッチや映画限定スイッチを除く)という絞った形にしたのは評価したい。レジェンドライダーシリーズを除けば無茶苦茶なコレクション商法にしていないのでコンプリートするのはそこまで難しくない。今のライダーのコンプリート商法と比べればかなり良心的に思える仕様だ。

 私もリアルタイムの時にはフォーゼドライバー購入を皮切りにスーパーやコンビニで買えるスイッチの入手に奔走したものだ。DX玩具に付属しているものは手に入れやすいが、そうでないものは近くのお店に売ってないものすらあった。ホッピングスイッチやペンスイッチ等は確か食玩扱いでコンビニやスーパーで売られていたと思う。

 『オーズ』の余韻もあって『フォーゼ』は私の中で熱狂した部類のライダーだ。

 熱狂して純粋な目で見られて素直に応援できたのはフォーゼが最後になった。というのも『オーズ』、『フォーゼ』で玩具の買い過ぎで熱が冷めてしまったり、世間一般で言うところの「卒業」という時期に差し掛かり『ウィザード』以降は平成ライダー以降をどこか冷めた目で見ていたのは事実だ。(連続ドラマ形式で新鮮だった『鎧武』や『エグゼイド』、平成ライダー20周年の締めくくりである『ジオウ』など例外を除く)

 そういう意味でも『仮面ライダーフォーゼ』は自分にとって世代として最後に大好きなライダーであったと言えるだろう。

 

 また福士蒼汰の如月弦太朗や吉沢亮の朔田流星などが見たい。

 心の青春スイッチはいつまでもオンにしたいものだ。