劇場版名探偵コナン 100万ドルの五稜星 感想

 今回から映画など単体で完結する作品は「感想」シリーズとして書いていきます。

 TVシリーズ+αといった作品に関してはこれまで通り「総括」シリーズとして書いていく予定です。

 では本題へ。

(映画本編のネタバレアリ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 劇場版名探偵コナンシリーズ、今作も面白かった。

 和葉への告白に邁進する平次と、父親が盗らなかったお宝を探し求めるキッド。2人の思惑とキス未遂の因縁が絡み合う天下分け目のお宝争奪バトルミステリーだった。

 

 やはり印象的なのは終盤平次の一世一代の大勝負だろうか。告白自体はハッキリ言い切ることには成功するが、和葉がスタングレネードで耳をやられたので平次の告白も含め何も聞こえてなかったのは笑ってしまった。

 さすがに映画でキャラ同士の関係性を進展させるようなイベントはやらないと思っていたので「平次の告白はちゃんと言ってるが和葉が聞こえてなかった」というオチは上手い落とし所だろう。
 ということは原作で100万ドルの夜景よりも凄い告白が待ってるはずなんで期待しますよ青山先生!

 

 また平次の告白を成功させるために蘭姉ちゃんがゲストキャラの福城聖くんを手刀で黙らせるの笑ってしまう 。

 ホント一瞬だったのでハッキリと手刀のシーンが写っていなかったまである。
 その後片手で男子大学生を軽々担いでたよね?ゴリラか?????

 

 

 何気に有希子さんコナン映画出てくるのは初めてじゃないか?『ベイカー街の亡霊』ではゲーム上に出てくるアイリーン役だったのであれはノーカンだし。優作の衝撃のカミングアウトの聞き役という立ち位置だった。

 盗一への弟子入りとか優作との結婚とかその辺の情報はどういう辻褄合わせになってるのかは気になるところ。

 これは原作での説明待ちかな。

 

 
 個人的に『キミがいれば』流れなかったのはちょっと残念。

 ハロ嫁、黒鉄と流れてきたので今年もあるかなって期待してたんだけどなかったね。
 まあいつものメインテーマ流した上でもう一回見せ場を作らなきゃならないハードルがあるし、今作は平次の告白がメインなのでコナンに使える尺が余裕なかったんだろうと解釈しておきたい。

 なお五稜星の楽曲集のボーナストラックには『キミがいれば』男性バージョンとかあったのはビックリ。作ったけど使わなかったパターンあるんだ…。

 作ってくれたのは嬉しいけど男性ボーカルは今までなかったので変わり種すぎてどう受け止めればいいのか分からないのが率直な感想。 
 来年は女性ボーカルverで劇場で流れるのを期待したい。

 

 

 そして明かされたキッド最大の秘密、「新一と快斗は従兄弟」てあるということ。

 アニメキャラで顔が似るのってよくある話だしそういうもんだと受け流してたんだけどまさかここで血縁関係作るの!?って初見で思った。

 これは試写会でネタバレされるのは避けたい制作側の気持ちが分かる。
 原作者が漫画に先駆けて出した重大情報をネタバレされるわけにはいかないもんな。

 蘭の新一センサーがキッド相手だとバグるの(『天空の難破船』のキス未遂など)がある意味正しかったのが証明されたの笑う。

 

 

 そしてエンドロール後の黒羽盗一生存確定。

 自分はお恥ずかしながら『まじっく快斗』を全話読んでるわけではないので、快斗の親父さんのことは既に事故死してるくらいしか知らなかったので「え!?生きてたの!?」という率直な驚きがあった。

 もし工藤優作と黒羽盗一が兄弟って設定作ったのがコナン製作時から考えられていたとしたら青山先生凄すぎる。

 優作と盗一が双子なのここから『名探偵コナン』と『まじっく快斗』の整合性をどう合わせてくるのか楽しみだ。

 

 大泉洋登場シーンの9割以上が黒羽盗一の変装だったのって怪斗キッドの変装が見分けつきやすい分かりやすいもの(下手な京都弁の沖田や関係者にすぐバレた西村警部など)と違って最後まで完璧に隠し通せた対比になってるんだな。(ラストまで上司の西村警部でさえ気づいてなかったので。)

 

 

 来年は長野県警がメイン。

 記憶が正しければ長野県警組が劇場版に出演するなら初めてのはずなのでどんな科学変化を見せてくれるか楽しみ。

 諸伏警部に焦点が当たるので弟のヒロと友人のゼロ(=安室透)も何らかの形で出てくるんじゃないかなあ。

 長野県警編は凝った時間が多い印象なので推理重視のコナン映画が見れそうだ。

 予告では小五郎の声も入ってたので『水平線上の陰謀』以来の小五郎メインの映画でもあるのかな。

 いずれにしても2025年4月の公開が今から待ち切れないね。

勇気爆発バーンブレイバーン 総括

 リアルロボットの世界にスーパーロボットがやってきたらどうなるか、1クールかけた壮大な実験を見ているようだった。

 イサミたち人間からすればメリットや契約もなく人類のために戦ってくれるロボットというのは劇中では真相が分かるまで不気味なものとして扱われているのも面白かった。

 見返りもなく人間に手を貸してくれる超人の存在はさながらウルトラマンの様で初めて見たのに凄く馴染みがあるのも個人的に好きな点。

 なので終盤でブレイバーンの正体が時間を巻き戻してやってきたスミスだと判明した時はちょっと残念だったなと。

 「見返りもなく人間に手を貸してくれる不気味な超人」を序盤は期待していたので、それが実は最初からいなかったと言われたようでガッカリではある。

 

 1クールあったのに特に劇中で位置エネルギーのなかった主人公イサミも勿体なかった。

 中盤までブレイバーンのパイロットとして乗るか乗らないかという軸しかなかったので乗ると決まった以上はそれ以上の活躍がなかったからだ。

 ブレイバーンが死んで立ち向かう術がなくなったのは分かるが、そこからただ情けなく白旗あげるだけなのはどうにかならなかったのかとは思う。

 ルーツに触れるメイン回があれば良くなったのになとは思う。

 バトルものでたまにある「戦闘要員以上の活躍がない主人公」状態に陥ってしまったと推測している。

 ただ、最終回でやっと覚醒して大成果を収めたのでなんとか着地は良かったのではとは思う。

 

 ただ、これは1クールものの弊害ではある。
 どれだけ詰め込んでも1クールしかないから詰め込める量にも限界があるからだ。

 1クールものは方向性を見定めたらそこに突っ走るしか基本的にやり口がない(続編が決まれば話は別だが)のでやるべきことに尺は割けてもやりたいことはいくつか切り捨てるしかない。
 せめて2クールあったら八つの枢要罪も一体ずつ深掘りしていく方向性に変えられたし、イサミの過去回もじっくり出来ただろうなと思うとそこは惜しかった。

 

 

 それでも『勇気爆発バーンブレイバーン』はスーパー系ロボットアニメの第一人者が作るセルフパロディものとして結構面白かった。

 特に1話はとんでもないものが始まった感があってワクワクしたのを覚えている。

 誰にも真似できない唯一無二性があるんじゃないかと想っている。
 いずれこれまでの勇者シリーズも機会があれば見ていきたいなあと思う。

 願うことなら続編も見たい。

 1クールの間ありがとうございました。

葬送のフリーレン 総括 人の心を知る軌跡

 金曜ロードショーで4話一気に放送という異例の放送スタイルで始まった本作。

 

 魔王を倒した勇者一行の1人、フリーレンが仲間のヒンメルの死をきっかけに人の心の軌跡を学んでいく物語。

 

 キャラの喋り口調は淡々としているけれどウィットに富んだ会話をしているのがクセになる。

 動的な心情の変化のシーンは少ないかもしれないが人の心にフォーカスした作品なだけあって静かにそれでいてハッキリとエモーショナルなシーンが記憶に残る。

 作画の良さも印象的で何気ない日常のシーンでも、ここぞという時のバトルシーンも、とにかく安定して作画がよかった。それでいてヌルヌル動くのだから今期のアニメの中ではかなり上位に入るのではないだろうか。

 背景も美術画のように綺麗でファンタジーに相応しい絵作りがされていた。

 

 初回2時間スペシャルで放送することでエルフであるフリーレンと同じように時間経過の速さを視聴者に体験させる構成は上手いなあと思った。

 

 

 一期でやはり擦りたい人気があったのはやはり断頭台のアウラだろうか。

 死に方が印象的(オブラート)なだけで人気投票で2位を取るくらいの爪痕を残したのは簡単に真似できないよなと。

 ビジュアルとCV竹達彩奈の影響も大きいだろうがこういう「10回の出番よりも1回のインパクト」の大きさを知れるいい機会だった。

 もし生きていたらというIFを元にしたファンアートはどれも面白くて好き。

 アニオリでいいからまた出ないかなあ。

 

 改めて見返すと日常シーンもバトルシーンも名シーン名言ばかりなのはすごい。

 原作のクオリティの高さと再構成したアニメスタッフの頑張りに拍手を送りたい。

 

 いずれ来るであろう第二期が今から楽しみだ。

 『葬送のフリーレン』これからも応援してます。

薬屋のひとりごと 総括

 初回3話連続放送という展開で始まった本作。

 ミステリーものは『名探偵コナン』や推理ドラマなどでよく嗜んでいて興味もあったことなので視聴しようと思ったのだ。

 

 毒と薬が好きなそっけない猫のような性格の猫猫と権限の強い宦官の美青年・壬氏を中心に後宮で送る難事件を解決していく物語。

 

 ミステリーものといっても『コナン』のように殺人は意外と起きない作品。

 結果的に死人が出た事件は多いが、どちらかといえば不慮の事故や病死が多く、フォーマットは何故事件が起きたのか、どうすれば謎が解けるのかという方向に重向きを置いている作品なのでCMでも言われているようにサスペンスではなくミステリーなのだと再確認できる。

 

 中華ファンタジーが舞台で都の華やかな世界を描く一方で絶対的な上下関係のヒエラルキーや猫猫親子を始めとした重い出自を持つキャラたち等どこか暗くシビアな世界観も特徴的だった。

 時々SD等身でギャグは挟んで重くしすぎない工夫はされているが作品の本質はシリアス寄りなのが作品のあちこちで伝わる。

 

 特に印象的なエピソードは19話「偶然か必然か」になるだろうか。

 序盤から起きていた単発エピソードと思われた数々の事件が、実は裏で繋がっていたのではないかという話になった時は膝を打った。

 気にかけないような些細な描写を積み上げてそれを終盤で解放する。まさにこれが伏線だと思わされた訳だからだ。

 結果的には不幸な出来事が重なったことによる事故という形で事件は終わったが、このエピソードは結構印象深かった。

 

 

 終盤、猫猫の生みの親(作品的にもこう書くのが正しい気がする)である羅漢と鳳仙がやっと再会できたところは思わずこっちまで嬉しくなった。

 運の悪さで悲恋で終わりかけた2人の出会いが最後の最後で可能な限りのハッピーエンド(メリバかもしれんが)を迎えられたのは幸い。

 また自分の見受け話を進めることもできたはずなのに2人を再会させることを選んだ梅梅姉ちゃんマジ聖人。どうか幸があってほしい。

 

 2クール見終わってやはりタイプな作品だと感じた。

 ストレスフリーで見れて絵も綺麗で物語を積み重ねていくので満足度も高い。

 見てきた価値は確かにあったなと。

 

 2025年に来る2期が今から楽しみ。『薬屋のひとりごと』、これからも応援してます。

仮面ライダーゴースト 総括 〜軌跡!ゴーストの全て!〜

 平成ライダー全部見るという目標で始めた平成ライダーラソンも気付けば17作目。

 本作『ゴースト』はリアルタイムでツギハギなセリフ運びや絵面のおかしさ等出力の下手さが目立ち奇天烈な作品だった印象。

 なので正直平成ライダーラソンするという目的がなかったら二周目する気は起きなかった。

 

 二周目していく中で「なるほど、ここはこうだったのか、このキャラはこういう意味でこういう発言をしていたんだな」と予めテレビ本編のその後の展開や設定を分かっているのでリアルタイムよりもスッと理解できた。

 例えば序盤アランたちの言う「完璧な世界」や終盤のコピーマコト兄ちゃんといったのが挙げられる。

 二周目する前は微塵も思わなかったが、ニチアサ内外でいい加減な作りをしている作品がいくつか見受けられるようになったこともあり、その分『ゴースト』はやりたかったことは伝わるし作品全体での一貫性は感じられるので誠司な作品に見えるようになったのは二周目して1番大きな収穫だった。

 けど二周目するの前提みたいな作風なのに二周目させる気のない出来栄えなのはいかがなものかとは思う。

 

 これも二周目してから分かったが終盤1クールはひたすらアデルとガンマイザーとばっかり戦っている印象だ。

 時折イゴールら眼魔も襲ってくるが非戦闘員キャラでも撃退できるくらい弱体化してるので正直敵ではないなと。

 長々ラスボスで物語を引っ張るという意味では後の作品のラスボスであるクロノスやエボルトが例に挙げられがちだがアデルwithガンマイザーも中々引っ張ってんだなと見てて感じた。

 それでもガンマイザーのスーツは7体使ってプロップも相応数作っていたので後々の作品よりは絵作りは頑張っていた印象だ。

 

 やりたいことは伝わるがやはり出力が下手というか劇中で言いたいことを圧縮しすぎた印象だ。

 例は2つある。

 1つ目は構成の稚拙さ。

 例えば中盤「ガンマイザーが強くて今の自分の力じゃ太刀打ちできない...」っていう話をしているのに何故が格下の敵をボコってスッキリした風になるのはおかしい。それも連続で2回もあった。

 「ガンマイザーを破壊できるのはムゲン魂だけ」その設定を守りたかったのは分かるがそれにしたって見せ方はあったはずだ。

 ネクロムやグレイトフル魂でもガンマイザーには優勢に戦えるのを見せた後でムゲン魂でトドメ。この流れにすれば少なくとも格下ボコってスッキリの流れは避けられただろう。

 2つ目は圧縮言語だ。

 例えば2クール目のアランの言う「完璧な世界」は「人が傷を負うことも老いることも死ぬこともなく感情も持たないので争いもない世界」という意味。

 だが、これは本編終盤でやっと設定が開示される話。少なくともネクロム登場直後でそんな話はしていなかったはずだ。

 それなのに口を開けば「完璧な世界」しか言わない。botかと勘違いするレベル。

 製作陣の頭の中では全ての設定の意味が分かっているのだろうが、視聴者は情報開示された設定しか把握しようがない。

 正直情報の開示の仕方は下手であったとしか言えないと私は考える。

 「人の可能性は無限大」も同様だと思っている。

 

 

平成ジェネレーションズ

 座組としてのゴースト最後の冬映画。

 公開初日から観に行ったのを覚えているがライダー映画としてやはりインパクトも強くいい映画だった。

 アクションも豊富で見どころも多く、カッコよく動くヒーローものとして坂本監督らしさのよく出てる映画という印象だ。

 前後作の垣根を超えてドライブ、鎧武、ウィザードも勢揃い。 

 竹内涼真白石隼也がちゃんと進ノ介、晴人として出てくれるのは嬉しいところ。

 それだけに佐野岳が出られなかったのは勿体なさすぎる...。

 坂本監督のアクションで動く佐野岳という意味でも、進ノ介や晴人と同時に変身する葛葉紘太という意味でも大きな減点対象だよなあと。

 坂本監督のアクションで動く佐野岳は一度どこかで叶ってほしい願いだ。

 

 主題歌メドレーや『B.A.T.T.L.E G.A.M.E』など挿入歌でも盛り上げてくれるのでボルテージは上がりっぱなし。

 

 マイティブラザーズXXのサプライズ先行登場は平成一期の最強フォーム先行登場を思わせるようでアガッた。

 

 山本千尋はまさかここからウルトラマンジードに出たり大河ドラマに出たりブレイクするとはこの時は思ってもみなかった。

 

 ゴーストの映画として見れば。ゴーストのテーマである「命」とエグゼイドのテーマである「医療」が絶妙にマッチしていて患者(≒アカリ)を救うということで両者の目的が一致していたのも高評価だ。

 何故かいきなり帰ってくるマコト達はちょっと引っかかったが全体で見ればそこまで気にはならない塩梅。

 タケルがテレビ本編で生き返ったことでタケルが死にかける・死ぬかもしれない状況に置かれることで出る緊迫感は確かにあった。これはテレビ本編中幽霊であったからこその対比もあったと思う。

 

 フォームチェンジも坂本監督らしくゴースト派生フォーム以外は全部出したのはさすがというべきか。

 『ゴースト』と坂本監督は相性がいいよなと思わせてくれる一作だった。

 坂本監督が撮る平成ライダー映画は実はこれで最後だったのはちょっと意外。

 よく考えればここからは『ジード』を始めとするウルトラの方にウェイトを置いていたのでそりゃそうではあるんだけどね。

 リアタイ補正抜きにしても満足度の高い映画だった。

 

 

Vシネ『仮面ライダースペクター』

 平ジェネの後にあたる『ゴースト』最後の映像作品。

 1番大事な点であるマコト兄ちゃんが大量に存在する「デザイナーベイビー」の一体に過ぎなかった話、そういう話はテレビ本編の間にカタをつけてほしかった。

 そのせいでテレビ本編のコピーマコトが意味不明になっていたのはどう考えても作品的にマイナスでしかない。

 テレビ本編終盤はVシネの布石を作るための場ではないというのを高橋Pと福田卓郎氏にはもっと早くに気づいてほしかったなあと。

 よく『ゴースト』擁護の意見で「Vシネまで見てから判断してほしい」という意見があるがそれはつまり「テレビ本編だけでは擁護出来ないクオリティ」と言ってるのと変わらないのではないかと思う。

 

 その一点を除けばVシネは結構良かった。

・自分の出自に苦悩し罪を背負って生みの父親であるダントンの野望を止めるマコト。

・テレビ本編でアデルから「家族を持て」と言われたアランがマコトに私ならカノンを幸せにしてみせると告白して、全力で友を止めようとした点。

・中和剤パッチは一時凌ぎでしかなかったが、眼魔世界の大気を変えるために全力を注ぐアカリたち。

 など、見どころは多かった。

 

 感情を総括するムゲン魂と対になるように、七つの大罪を総括するシン・スペクターというのもアイデアが面白かった。

 友情バースト魂も結果こそ伴わなかったが、ディープスペクターを凌ぐ戦力であることを証明できた形態だと言えよう。

 

 ダントンはこの時点では独善的で強権的な人物として描かれていた。

 眼魔世界の住民のためを想った信念は立派だったが行動と結果が伴っているとは言い難い。

 マコトのことも子供のように大切にしているが、それは実験の数少ない成功例だからであって綻びがあれば劇中のカノンのように処分しようとしたんだろうなというのが推測できる。

 クロエに関しては小説でも言及するがVシネの時点では無から生えた女、ダントンの実験の犠牲者としか言えない。

 

 『Vシネ スペクター』、ゴーストのやりたかったことの片鱗を見せた作品だった。

 

 

 

小説仮面ライダーゴースト

 眼魔世界の始まりからタケルの息子アユムの未来まで描く壮大な物語だった。

 これがやりたかったんだな福田卓郎

 

 各キャラの総評について。

 アドニスはひたすら不憫な人生だったなと。妻が病でこの世を去り、息子も殺され、たくさんの同胞も同士討ちで死んでいった。

 そりゃテレビ本編はああいう性格になるよなあ。

 最後にアランが人間世界に興味を示すように手引きが出来たのは幸いか。

 

 グレートアイは自分は神ではないと言ってはいるがやってることは神と変わらないのでは。

 アドニス達を助けるならせめて赤い大気の問題くらいどうにかしてやれよとは思う。そのせいで大勢死んだし。

 中途半端に助けて後は自力で解決してくださいは薄情な奴だと考えてるよ。

 

 ダントンは最初から独善的で強権的なやつではないと分かったのは収穫だった。

 強化人間を作る過程で人体実験に協力してくれた同胞たちの無念を背負って戻るに戻れなくなったのが切ない...

 Vシネでの見方も変わってくるよ。

 

 さて問題のクロエ。

 いわゆるVシネで「無から生えた女」の訳だがそれがなんでタケルと結婚まで至るのか理解はできても納得はできないなと。

 自分を犠牲にしてでも他者を助けてきたタケルと、命が尽きるその瞬間まで他者のことを労わろうと努力するクロエという構図で2人は似た者同士だねっていう構図にしたいのは理解できる。

 ただクロエ自体そんなに出番ある訳じゃないしそんなに尺のないキャラがメインキャラとくっつくのがなんか納得がいかないんだよな。

 

 多分自分はVシネから生えたポッと出のキャラがテレビ本編から見てきたキャラと深い関係になるのが許せないんだろうなと思う。

 『ドライブ』の西堀令子はテレビ本編からいたしVシネ『マッハ』でもメインヒロインとして扱われてたので半ばバグ的に納得することが出来たんだけどクロエはそうじゃないのでこういう感想にもなる。

 

 アカリはイゴールとでもくっついとけみたいな扱いだったしやりたいことのためにおざなりになってる部分があってそこは残念な印象。

 

 『仮面ライダーゴースト』、とにかく変な作品だが作品の出来栄えはともかくオカルトに見えてSFをやりたいのは分かるし、後々の作品よりも真面目にやろうとしていたのは伝わるので2周目してテレビ本編の評価が上がったのは完走してよかったところだ。

 Vシネ、小説まで含めれば高橋Pと福田卓郎のやりたかったことの全てが理解できたので全部見てよかったよ。

王様戦隊キングオージャー 総括

 『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の勢いを継いで始まった本作。

 ゼロワンから4年ぶり、戦隊は『キョウリュウジャー』以来10年ぶりとなる大森プロデューサー、初参加の脚本家高野水登、『エグゼイド』のクロノス初登場回以降演出的に凝った印象があり作家性の強い上堀内監督という布陣。

 

 

 まずはよかったところから述べようか。

 3つある。

 1つ目は一年間LEDウォールを用いて撮影を続けたこと。

 LEDウォールの説明はどんなものかキングオージャーを見続けた視聴者なら分かると思うので省略しよう。

 1年間撮影を続けたことでスタッフのノウハウもかなり蓄積されたことだろう。

 東映的にもキングオージャーはLEDウォールの試金石の意味もあっただろう。

 ここで得た経験は間違いなく今後の東映特撮作品においてプラスに働いてくると思うのでそこは素直に評価したい。お疲れ様でした。

 

 2つ目は1年間ファンタジー路線を貫いたことだ。

 これまでもファンタジー系戦隊はいくつもあったが(マジレン、ゴセイ、リュウソウなど)ロケ地など撮影の都合で我々の住む現実世界をメイン舞台とした構成にしなければならない制約があった。

 しかし今作においてはグリーンバックの技術の進化や先に述べたLEDウォールの導入によって異世界描写で撮影を一年間続けることができた。(キョウリュウジャーコラボは除く)

 これにより今後のライダーや戦隊において異世界描写を撮るノウハウが格段に増したと言えるだろう。

 この取り組みも素直に評価したい。

 

 3つ目はキョウリュウジャーコラボだ。

 放送から10年を迎える『獣電戦隊キョウリュウジャー』とのコラボ回。

 イアン、ノッさん、ソウジ、アミィ、空蝉丸がキャスト本人が出演しており、人気俳優となった竜星涼も短い時間ながら参加しており気合の入った2話となっている。

 キョウリュウジャーらしく努力・友情・勝利という構成でオリジナルのデーボス怪人も登場してちゃんとキョウリュウジャーしているのが印象的だった。

 キョウリュウジャー世界で何があったかはVシネで明らかになるようだ。

 

 

 次に悪かったところを述べていく。

 1つ目はあまりにも作品の構成がガバガバな作りになっていること。

 私が把握している限り紹介していきたい。

 まずはバグナラクの扱いについて。

 序盤デズナラクが「人間によって棲家を地底まで追いやらられた」という設定のはず。

 元々チキューに住む先住民という設定だったはずがいつの間にかダグデドが無理矢理連れてきた移住民という設定になっている。

 棲家を追いやられたデズナラクの怒りは何だったのか。

 

 また1章で人間とバグナラクは互いを傷つけないという約束で和解したはずだ。

 バグナラクも人間同様の扱いを受けることになると思っていた。

 なのに2章に入っても平然と人間に牙を向くバグナラクがやたら多いし人間側も普通にバグナラクを攻撃する。最終決戦は特にそう。

 グローディ(ダグデド)の能力で操られゾンビ化してるならそれでいい。だが特に説明のない個体は外見で操られてるかどうか識別することは不可能なので見分けようがない。

 おまけに普通にチキュー語喋る個体もいるから「お前単純に裏切ってるだけなんじゃないの?」っていうやつもいる。

 外からはゾンビか裏切りかその判断ができないのが致命的な欠陥になっている。

 せめてジェラミーが、ゾンビ化してる個体なら「すまない。君の命を奪うことを許しておくれ...」とか裏切り者なら「人間とバグナラクの共存を脅かす輩はこの私が許さない」とか一言言ってくれるだけでも操られてるのか裏切り者か判断できるしバグナラク周りの配慮ができたのだが製作陣はそこに気づかなかったのか?

 見分けがつくように小さいバッジのような小道具数点用意するだけでこの辺の描写はかなり変わってくるのだがそんな予算さえもなかったのか?あるいはそんなことに気遣う気もなかったのか?

 半年かけて「バグナラクは被害者。共にダグデドと戦う仲間」という結論を出したはずなのにそれすらおざなりになったのはただ単に残念だ。最終回の決め台詞も空回りしてしまうだけだった。

 

 次にハーカバーカについて。

 劇場版で初登場してからその後再登場させる舞台というのは分かる。

 ただ死人を一時的にでもこの世に復活させることができるのならもっと早くできたのではないか。

 最終章だけ出すなら、ただ「最終決戦で全キャラ出したい」という願望のためにそれまでの積み重ねを台無しにしたとしか思えない。

 カメジムに暗殺されたボシマールやデズナラクはやられてすぐハーカバーカから復活して事の発端を伝えるなり加勢するなりすればカメジムの擬態に一矢報いたりすることもできたはずだ。

 逆に生きてるカメジムをハーカバーカに連れて行っていいのか?

 それができるなら五道化全員幽閉しておけという話になる。

 

 先代女王のカーラスやイロキも早くに復活しておけばここまで事態が拗れることもなかっただろう。

 そもそも先代がキングオージャーになれるということ事態おかしい話だ。

 オージャカリバーは公式設定でヤンマが作ったと書いてある。

 なのにスラム育ちのヤンマが10代入る前で、まだンコソパ王の地位を手に入れてシュゴッダムに取り入る前からオージャカリバーが存在していたということになる。

 ンコソパがスラムにいた頃の回想の時点でヤンマは今の同じ姿だったので近年の出来事というのがわかる。

 先代が変身するという絵面のために時系列も設定もガン無視しているいい例だ。

 

 2つ目は設定ブレブレで魅力のないキャラたち。

 ギラは最後まで邪悪の王botでまるで成長がない。レインボージュルリラの件も食わされて兵器扱いされているだけであり主人公として主体性がない。ずっと何かトラブルに巻き込まれているだけだ。2章でシュゴッダム国王となってからも側近と孤児院時代の子供としかまともに話していない。民を束ねる王とは何だったのか。

 ヤンマは国が滅びた直後に呑気に合コン。順番が逆だろう。ンコソパを取り戻す展開も何話も経ってから思い出したようにやってるので内心ンコソパのことそんなに大事に思ってないなと勘ぐりたくなる。ヤンマに関しては王になるべき器でない奴が王をやっているという描写ばかりだ。

 ヒメノは医者として生命の大事さを解いているにも関わらず不死殺しの力をギラ相手に試し切りしようとする。言動が矛盾している。真っ当な医者キャラとして1番やっちゃいけないことだろ。

 リタは謎アイドル。高野水登の自己満足でしかない。結局潜入中に何が分かったのか。性別不詳のはずがフリフリのアイドル衣装着せてるからにはやはり女の子なんだな?と邪推もしてしまう。

 カグラギは泥に塗れると自分で言っておきながらなんだかんだ決して自分の手は汚さない。ニチアサの制約なのか頭のキレる策士キャラくらいの扱いだった。

 ジェラミーは長生きしたいのか早死にしたいのかブレブレ。2000年かけて償いたいのか仲間と一緒に生涯を終えたいのか、頼むから一貫性を持ってくれ。

 また、ゾンビ化したバグナラクに対して何も思うことはなかったのか。仲間という割には仲間意識が空虚だった。

 

 以上のようにキャラクターが生きておらず都合のいいように喋り動く人形でしかなかった。

 どのキャラも一貫性も魅力も欠けるのでキャラものの作品としても弱い。

 

 3つ目は販促の悪さ。

 驚くほどロボが出てこなかった。一度出てから次に出るのが1ヶ月後とか何回もある。ドンブラザーズでも長くても3週間(それも一度きり)なのでどう考えてもロボの販促が緩すぎる。

 ドンブラの時に最終回でロボ出さないために白倉がバンダイに許可取ったという話があるくらいロボの出す出さないはバンダイ的にも厳しいはず。

 他にもキングオージャーの販促は不可解な点が多い。

 クリスマス商戦の目玉だと思われた一般販売のキョウリュウジンも本編では3回しか出てこなかった。

 4号ロボ兼キョウリュウジャーファンへの目配せの意味も強いはずなのにクリスマス商戦にしてはアッサリすぎる扱いだ。

 バンダイがどういう販促スケジュール組んで東映側の要望を呑んでいたのかどこかのインタビューで読んでみたい。

 

 

 4つ目は悪役贔屓による間延びの悪さとヘイトの管理の拙さ。

 これに関しては大森P、プロデューサー何回目だって言いたくなるくらい酷い。

 テレビ本編だけでもキョウリュウ、ドライブ、エグゼイド、ビルド、ゼロワン。映画や番外編含めれば相応の数を経験しているはずだ。

 なのに未だに上記の問題が改善されてるように見えない。むしろ悪化している。最近『ドライブ』を完走したばかりなのでそういった要素が余計そう見える。

 まず悪役贔屓。『ドライブ』のロイミュードの3幹部や仁良が象徴的だろう。悪役を贔屓するあまりヒーロー番組として爽快感に欠ける、いちいち感じの悪いシーンが差し込まれる、それらを溜めたことによるカタルシスも大してない。

 大森Pの作風はそもそもヒーロー番組と相性が悪い。

 今回のキングオージャーはダグデドと五道化がそれに該当する。

 ラスボスと大幹部なので容易に倒せないからキングオージャーがボコボコにされてもそれで今回は終わりみたいな回が目立つ。

 そして案の定終盤に入って在庫一掃セールみたいに五道化が倒され始めても大してスカッとはしない。倒され方が一般の怪人の倒され方と大して変わらんので特別感もない。

 ラスボス格のダグデドも初登場から舐めプの連続で一度でも本気を出したことはあるのだろうか。

 ダグデドが本気を出した時点で最終回になってしまうなら登場を遅らせるか、本気を出させない理由づけをしなければならない。

 しかしそのどちらも行われることはなく本編中盤から登場したが大した理由もなく舐めプを続けるという有様。

 どれだけ戦隊陣営が命懸けで頑張ったところで「でもダグデドが本気出してないから助かってるんだよな」としか思わない。

 案の定最終回でもダグデドは本気は出さなかった。最後まで舐めプするラスボスは聞いたことがない。これも史上初か?

 以上のようにダグデドのキャラ付けは失敗としかいえない。

 キングオージャーはこんな有様になったのは高野水登の起用と自身の課題を解決することもなく放置した大森Pのせいだからとしか言えないと思う。

 

 

 キングオージャー、最初はLEDウォールを用いて大河ドラマ形式のファンタジー戦隊が見れると期待していただけにガッカリである。

 自分が見てきた戦隊の中では下から数えた方が早い酷さだった。

 チャレンジ精神は評価するが、肝心の中身が伴っていない番組だった。

 大森Pには自身の課題を克服するよう努力してほしい。

 正直今のモチベーションでは10thやったとしても観に行くかどうかは自信がない。

 それくらいの番組だったことは言っておきたい。

 

 3月から始まる『爆上戦隊ブンブンジャー』楽しみだ。

機動戦士ガンダムSEED FREEDOM 総括

 20年間待った『SEED』の劇場版ついに見ることができた。

 何故そこまでかかったかはさておき、映画はキラとラクスの関係、アスランカガリは『DESTINY』の後どうなったのか、シンとルナのあれから等、今の『SEED』で見たかったものが詰まっていたと思う。

 『SEED』、『SEED DESTINY』を見てきた甲斐があったものだ。

 

 ライジングフリーダムやイモータルジャスティスといった最新機種もよかったがストライクフリーダムインフィニットジャスティス、デスティニーなど当時熱中したあの機体で敵の最新機種を圧倒する、所謂旧型で新型を圧倒する展開はこれが見たかったというものをそのままお出しされたので大満足だった。

 

 今作のテーマは「必要だから愛しているのではありません。愛しているから必要なのです」ラクスのこの言葉に尽きると思う。

 必要だから作られたオルフェ達アコードと愛している関係のキラとラクス達の対比が効いていた。

 キラとラクス、2人の関係を改めて掘り下げる作品だった。

 コズミック・イラの世界を今すぐに変えるのは無理でもキララクの関係が更に深まっただけでもこの映画をやった価値はあるというものだ。

 

 

 予告以外の情報はなるべく仕入れずに見たおかげで楽しめたサプライズも多い。

 

 やはり100人中100人が笑ったであろう神妙な面持ちで駆けつけるアスランとサプライズズゴックはズルすぎた。

 あんなの誰でも笑うだろ。

 『DESTINY』でザクとグフ、ドムが出たのだから警戒は出来たはずだけどまさか来るとは思ってなかったよ。

 ツノ生えてるなんて初見で気づくかw。そのツノからフォトンエッジみたいに敵MSを一刀両断するのも面白い。

 今作のアスランは何といっても面白すぎる。

 迷いのなくなったアスランってあんなに強いんだと実感できた。

 キラとの喧嘩パートでキラが「だってみんなが弱いから!」と今までの経験と傲慢さを吐露したところにアスランが一方的にボコボコにして吹っ切れさせる(しかもキラの攻撃は一発も当たってない)展開も面白い。

 『SEED』本編でもあったがキラ1人いれば全て解決するわけじゃないという最初から一貫している描写なんだと思う。

 今作の敵キャラ最強格であるシュラ相手に、ズゴックをパージしたらインジャが出てきたりカガリのエロ妄想で敵の読心術を欺くなどやることなすこと全てが上手くいって面白いのがズルすぎる。

 今作のMVPは誰だと聞かれたら迷わずアスランを推す。それくらいの活躍ぶりだった。

 

 

 『SEED FREEDOM』、よかったし面白かった。

 予告編まではキラが死にそうな雰囲気出てたのでバッドエンドになる結末も覚悟していたがメインキャラは大した死人もなくお祭り映画で終わったのでとても満足している。

 興収的にもガンダムシリーズトップに上り詰めたので今後の展開も期待したい。

 まずは福田監督の話にも出ていた映画の前日譚となるOVAが来るかな。

 2〜3年後には続編映画『SEED JUSTICE』をやってほしいものだ。

 『SEED』今までもこれからも大好きだ。