HUGっと!プリキュア 感想総括 〜「女の子だって暴れたい」の再解釈〜

 『HUGっと!プリキュア』見終わった。本編36,37話や映画のために一部過去作を見返してたので投稿が遅くなってしまってすみません。

 

 ハグプリは実を言うとリアルタイムの時に完走してるので、今回の完走で2周目になる。今まで見てきたプリキュアシリーズとしても初の2周目なので1周目では分からなかったハグプリのプリキュアシリーズとしての魅力とハグプリ独自の魅力を分けて見られるようになった。

 例えば、異なる性格のキャラたちが出会い仲を深め一年かけて掘り下げていくのはプリキュアシリーズの魅力。踏み込んだ出産・育児要素、個々のアイデンティティの追求といったものはハグプリ独自の魅力に分けられる。

 サブタイトルにも挙げた「女の子だって暴れたい!」は言わずと知れた初代「ふたりはプリキュア」のキャッチコピーにあたる。

 少年漫画やアニメなどそれまでのヒロインはどちらかといえば守られる、戦いには加わらないヒロインというのが一般的だった。そこからスーパー戦隊のピンクやイエロー等による戦隊ヒロイン枠、「美少女戦士セーラームーン」を代表する戦う変身ヒロインの数が増えるようになる。

 そこから自分の拳で戦うプリキュアへと派生して現在に至るわけだ。

 女の子向け戦うヒロインがドラゴンボールのように殴り合うわけである。

 当時としては画期的だった。

 制作会社やスタッフ的にもドラゴンボールの妹分とはよく言ったものだ。

 プリキュアの登場により日曜朝は戦う作品であるスーパー戦隊仮面ライダープリキュアが揃ったわけである。

 そこから15年経った本作が「HUGっと!プリキュア」だ。

 ではハグプリにおける「女の子だって暴れたい」の再解釈とは何なのか?

 私の考えとしては「カテゴリーに縛られることなくなりたい自分になれる」それがハグプリが行った再解釈だと考えている。

 社長やお医者さんにフィギュアスケートやバンドといった現実の職業という意味でも、アンドロイドもプリキュアになれるし玩具的な理屈を抜けば男だってプリキュアになれる。そういうことなんじゃないかと思う。

 

 作品的にも構成がよく出来ていて1話の最後を2話の冒頭に繋がるような連続ドラマ仕立ての構成を取り入れ、シリーズ構成の坪田文氏の手腕も相まって隙のない作品に仕上がっていた。

 また15周年記念作品としても見どころは多く、初代ふたりはプリキュアの客演、プリキュアオールスターズ全員登場と中盤を盛り上げてくれた。

 これらも単なるお祭り回に留まらずに初代客演回の21、22話はプリキュアになったばかりのえみるとルールーに喧嘩して相手に本音でぶつかることの大切さを説き、オールスターズ回の36、37話は最終章のプレビューを行い、いずれも敵幹部を改心させる構成になっておりきちんと本編に組み込む無駄の無さが特徴的であった。

 個人的に思うところがあるとすれば敵幹部改心の展開は1パート使うくらいには描写がほしかったところではある。(それをすると敵幹部だけで3話くらい使いそうだし、キャラによっては日曜朝子供番組としては生々しすぎることになるという事情はあるので仕方ないところはある。)

 個々のアイデンティティに踏み込み全体的に平均点の高い作品、それが「HUGっと!プリキュア」なのである。