前作『ガンダムSEED』に続き『ガンダムSEED DESTINY』完走しました。
ガンダムシリーズでは数少ない続編もののテレビシリーズ。
自分のリアルタイムの思い出は第3期OPに変わってインフィニットジャスティスが出てきたタイミングから最終回までをおぼろげに記憶に残ってるレベル。
正直あんまり覚えてないので初見に近いと言っていいだろう。
玩具面ではインパルスガンダムの描写がよかったと思う。Vガンダムのようにコアファイター枠のコアスプレンダーと上半身と下半身に当たるユニットがそれぞれ合体するギミック。
また背中にはそれぞれシルエットシステムと呼ばれる武装兼スラスターが合体することでストライクガンダムのようにタイプチェンジする仕組みだ。
例えば劇中で足を壊されたインパルスが母艦ミネルバからレッグフライヤー(インパルスの下半身)を送ってもらうことで即座に5体満足状態で戦闘継続することができる。
またフォースインパルス状態でソードシルエットを送ってもらうことで、フォームインパルスのままソードの武器が使えるイレギュラーな戦いがあったりと玩具ギミックと噛み合っていてそこはすごくよかったと思う。
さて、ネット上では酷い酷いと言われている今作。ハードルを低くして見ていたという面もあるが、自分はそこまで思っていたより酷くはなかった。
まあ回想や総集編、バンクの多さは確かに気になりはしたし、粗も多く疑問点も多々残るが、ネットでボロクソ言われるほどでもなくないかとは思う。
これは同時期に出来の悪い作品を見ていた影響もあるので個人差が大きいかもしれない。
まあ記憶を取り戻してからステラのことにほぼ触れなくなったムウとか最終決戦で宇宙に上がってから喋らなくなったカガリとか細かいところを挙げればキリがないけど。
オーブでの戦闘で家族を失ったシン・アスカが主人公。戦うための力を手に入れてザフトのMSパイロットとしてその才能を振るう物語...確かに途中まではそうだった。
事前に情報を仕入れてたとはいえ、ラスト3話で主人公が名実ともにキラに変わった時はさすがにマジかと思った。
それまでもどちらかといえばキラやラクス達アークエンジェル隊の面々の方が出番が多い回が徐々に増えてきたとは思っていたが。
『DESTINY』の途中で劇場版の制作が決定して、おそらくそのために色々と修正が加えられた結果なのだろう。
話を劇場版に繋げるために『DESTINY』は続きを書けるように終わらせる痕跡が見える。
キラ達がギルバート・デュランダル議長の提唱するデスティニープランを否定したのも「運命や遺伝子に支配される道を歩むくらいなら混沌であっても自由な世界の方がいい」ということだ。
実際デュランダル議長の劇中の行動から見てもデスティニープランが採択されたとしてそれは議長の支配する世界に成り下がるだけなんじゃないかと私は思う。
現に劇中で「プロパガンダのラクス=ミーア・キャンベル」を自分の都合のいい言葉を吐かせるための道具とし、本物のラクスには存在してると都合が悪いからと暗殺(未遂)を実行したり、自分のやり方に背くアスランを消そうとしたりと逆らう奴は排除するという意思が見られた。
キラ達は議長が仕組んだラクス暗殺未遂に巻き込まれたことで、それまでの支配者であった「ロゴス」を滅ぼしてしまっても議長がその後釜に入るのでは世界が変わらず意味がないというのがキラ達の考えだ。
だから妥協的とはいえ争いだらけの世界を止める方法としての「デスティニープランを否定=キラ達は何も考えずに動いてる」はちょっと違うと思う。
それまでの主人公であったシンはつまり「ヘリオポリスでキラに再会せずカガリとも出会わず戦うことに考えなくなったアスラン」なんじゃないかなと考えている。
先にやられてからやり返す、憎しみだけで動いていたのはSEED1話以前のアスランとよく似ている。
道を示してくれる先輩もおらず、肝心のアスランは自分のことで精一杯。議長やレイ・ザ・バレルはシンを駒にするために甘い言葉しかかけない。
これではシンは自分で考えて自分の意思で戦うことは不可能だと思う。
妹のメイリンのスパイ疑惑の一件でそれまでの戦いに疑問を持ったルナマリアがシンを止めにかかったのも終盤の終盤だったし。
ストーリー修正の影響を受けたのもあってシンは自力で成長する機会に恵まれないまま『DESTINY』が終わったように見える。
最終回の「選ばれた未来」でキラと分かって初めて会うところでやっとシンは憎しみで復讐するのではなく守るために戦うことを本当の意味で知れたのではないだろうか。
ここから繋がる『劇場版ガンダムSEED FREEDOM』、シンの成長も含めて見届けるしかない。