仮面ライダーアマゾンズ 総括 〜ニチアサから解き放たれたトゲの獣〜

 プライムビデオで配信されたオリジナル作品。

 ニチアサの制約から解き放たれたことによる自由な尺、血糊、ダメージ表現、反則の少なさ、より陰鬱なストーリー等等。

 ニチアサでは出来ない・難しいことを取っ払ったことで仮面ライダーの可能性を示した作品だった。

 

 

SEASON1

 養殖もののアマゾン水澤悠、天然もののアマゾン鷹山仁の生存と殲滅をかけたストーリー。

 まず画面が暗い。正確には暗くなるフィルターをかけているのだがそれがいい味出してる。

 ニチアサのライダーではあまり見ない画作りだ。

 「アマゾンズフィルター」なんて呼ばれたりして「暗い画面=アマゾンズ」を象徴しているのも面白い。

  

 

 次に血を伴うダメージ描写。これでもかというくらいドバドバ出血する。

 Vシネライダーシリーズからその兆候は見られたがどうやらライダースタッフ陣はニチアサで血を出せないことに相当鬱憤が溜まってる様子。

 血糊を最後に使ったのは『仮面ライダー剣』が最後(のはず)でそこから『仮面ライダーゴースト』まで血糊をハッキリと使ったといえるシーンがあっただろうか。

 『エグゼイド』や『ゼロワン』では一応使ったと言えるがハッキリと見せた訳ではないので正直カウントするか難しいところ。

 そんな10年以上ハッキリと使える機会がないのだから鬱憤も溜まるというもの。

 Vシネ『チェイサー』やVシネ『スペクター』などで使っているのはそういう鬱憤晴らしの意味合いも含まれているのではないだろうか。

 だから自由に出血描写の出せる『アマゾンズ』ではこれでもかというほど血がドバドバ出てくると私は考える。

 実際殺し合いするような戦いなのだから出血するのは当たり前である。

 その結果として凄惨さとリアリティに一役買っているのだ。

 

 

 次に販促。

 今作の販促要素はアマゾンズドライバーくらいしかない。関連商品含めればもっとあるだろうがバンダイが主軸ではないのでこの少なさ。

 従来のニチアサ作品なら販促は避けては通れないところ。

 それをいかにして作品の魅力に反映させるかがニチアサの醍醐味ではあるのだが、特に平成2期以降のライダーはとにかく販促が多い。

 クリスマス用の使い捨てとも取れる派生フォームの数々、パワーアップフォームのために1ヶ月経たないうちにまたやってくる克己心イベント等、販促のスケジュールの合間にストーリーをでっち上げるのがメインになっていて平成1期初期の頃の自由度は確実に減っていると思う。

 

 『アマゾンズ』はAmazon主導で作られたこともあり販促も最小限な自由度の高い作りで、平成1期のような野心的な面白さが出ているのではないだろうか。

 

 

 最後にストーリー。ニチアサのように「怪人だって人間と分かり合える!」なんて都合のいい展開にはならない。

 アマゾンは食人衝動を抑えられないし現に人を襲う。

 9話で登場したひっそりと生きているアマゾン達でさえ人を殺して食ってアマゾン化を抑えている(と思っている)訳だし、マモルくんだって人肉ハンバーグを食べたことで三崎くんを手にかけてる訳だし、友好的なアマゾン=これからも絶対に人間を襲わない訳ではないのである。

 野座間製薬の身勝手な理由で生み出され放逐された哀れな存在ではあるが、ただの被害者として片付けるには人間社会的にあまりにも危険な存在。

 悠だけは違うとも言えるが特別製のイレギュラーなので例外といって差し支えないだろう。

 

 終盤トラロックによって大半のアマゾンが消滅、生き残った個体は逃げ隠れながらseason2で反撃の狼煙を挙げようと目論んでいく。

 同じ生きている命だと本編でも強調はされているがとてもアマゾンという集団として分かり合えるようにはならないのも同時に分かる。

 人間サイドからすれば自分たちを襲う化け物の大半が死滅してめでたしめでたし⭐︎のハッピーエンドにしてるのが露悪的。多分わざとやってる。

 

 アマゾンは人間と似てるようで決定的に違う種族として白倉Pと武部Pの関わってきた作品群のアギト、オルフェノク、ワーム、ファンガイアといった怪物たちの総決算という意味合いも含まれているのではないだろうか。

 

 

 『アマゾンズ』ニチアサでは出来ない制約から解き放たれた、まさに「トゲ」の獣のような作品だった。

 またこんな野心的で可能性を示したライダーが見たいものだ。