仮面ライダーファイズ、完走しました。
結論から述べると、とても良かった。面白かった。2周してもその感想は変わらない。
超人的な能力を持つ怪人に覚醒した人間たち、その怪人に対抗できるライダーズギア、その2つの力に巻き込まれ葛藤していく人間たちのドラマを描いたのが『仮面ライダーファイズ』。
仮面ライダーではあるがこのお話はヒューマンドラマだなと思った。
作劇優先の為か、少々ご都合主義の展開も見受けられたが(販促や尺の問題もあるのはもちろん承知しているが)、それもそこまで気にならないくらいドラマとしてよくできていたと思う。
それぞれ性格に難を持つ登場人物、その各キャラが絡んで生まれる感情の交錯や衝突が魅力で、現実のような人間臭さが見える特徴的な作品だった。
特撮ヒーロー番組としても、カッコよさが目立つ。『仮面ライダーアギト』に登場するG3のようなメカニカルライダーをメインに据えて、私も含め当時のチビッ子たちを釘付けにさせた。ドラマ面の難解さもカッコいいデザインのファイズが怪人をカッコよく倒すのでチビッ子への訴求性も担保されている。変身ベルトが100万本以上売れたと言うのだから相当だったのだろう。
当時、チビッ子だった私から見たファイズは、話が難しく多分セリフの半分も理解できてなかった。けれど、オープニングムービーはとてもオシャレなものに感じて、特にラストの闇に光る電飾スーツのファイズは本当にカッコよかった。その影響かどこかアダルトな雰囲気があって見てはいけないものを見てる。そんな雰囲気の作品だった。
アクセルフォームの10秒間だけ高速移動できるスタイルやファイズブラスターをガチャガチャ動かすブラスターフォームなどもカッコよかった。
そして、現在見返してみるとよく作られているのが素人目戦でもわかった。他人に真意を出せない不器用さ、時に激突する信念、葛藤を繰り返す泥臭さ。制作陣の熱意が込められていた。例えば44話の結花の最期のメールや、最終回での紗幕を簡単に潜り抜ける巧と考え抜いた末に潜る木場と対比など演出面でもキレッキレだった。
孤独に生きて誰にも看取られなかった草加など1年軌跡を追ってきたメインキャラ達が最期を迎える様はやはり心にくるものがあった。
結末は決してハッピーエンドとは言えないかもしれないが、一人の青年が夢を見つける、そんな終わり方になっているのはどこか爽やかで希望が見えるものがあった。
私はこの作品を完走してよかった、何度見返してもそんな名作であると思っている。
パラダイス・リゲインド
20周年を記念したVシネマ、それが『パラダイス・リゲインド』。
まず結論から言おう。
私は本作を「パラレルとしてなら」良かったといえる作品であると思っている。
巧はテレビ本編最終回で寿命が尽きかけ、スマートブレインの実験でさらに寿命が短くされた。ラストでは目もほば見えなくなって間も無く事切れる状態なのだ。余命わずかの状態で啓太郎と同じ夢を語って静かに目を閉じる。それが最終回だ。滅びの美学といってもいい最後。
なのにそこから「20年間生きていました」は無理がある。
最終回で木場に死ぬことの怖さを語って、「だから一生懸命生きてるんだ」という話をしていたのにそこから20年生きていたのなら最終回が茶番になるのではないか。
巧は最終回で死んだ。その一点は忠実に守っていたという意味では春映画ベースの『仮面ライダー4号』の方が素晴らしかったとさえ言える。
真理がオルフェノクになる展開も、テレビ本編の真理は人間であるからオルフェノクどどう向き合うかというキャラで描かれていたはずだ。
それなのに真理がオルフェノクになってしまったらそのバランスも崩れる。オルフェノクになったのだからオルフェノクのことを理解できるのは当然だ。
真理がオルフェノクになってしまい『パラリゲ』では啓太郎も三原も出てこないのでテレビ本編の人間キャラは誰もいなくなってしまったことになる。
人間とオルフェノクの違いとは何かという話をしていた作品なだけにそこは残念だ。
もちろん『555』としてよかったところもある。
ニチアサではないVシネなので出来る幅が広がっていたのは事実だ。
巧と真理のベッドシーンは敏樹なら書くだろうなと思っていたしニチアサフィルターが取っ払われたのだから何も不自然な描写ではない。やるべくしてやったシーンだと思う。
アマゾンズ並みのグロ描写も同様だ。アンドロイド北崎のワイヤー攻撃でバラバラになる玲菜はニチアサから離れたからこそ出来るシーンだと考えている。
特にクライマックスで旧式ファイズに変身するシーンは最高だった。パラロスのBGMはやはりファイズによく似合う。
そしてオートバジンからファイズエッジを引き抜いての『Justφ's』。もうここで心は当時のちびっ子に戻った。
気合いで新型カイザとミューズをボコボコにする様が最高。やはり戦いはノリのいい方が勝つということを教えてくれる。
そしてトドメのクリムゾンスマッシュ。これだよこれ。これが見たかった。これのために観に来たといっても過言ではない。
ここで大体満足したので比較的気持ちよくエンドロールを迎えた気がする。
『パラリゲ』、言いたいことはたくさんあるしそれでも『555』として見たかったものも見せてくれた。まさに『仮面ライダー555』とはこんな作品だったなと概念的に教えてくれる作品だった。
簡単に割り切れる作品ではないが白倉・敏樹・田崎が「これが今出せる555だ」というなら最大限受け止める努力はするよ。
『555』、改めて20周年おめでとう。
(ご精読ありがとうございました。)